イエス・キリストの重要な教え

導入

今日、お開きします箇所は、ある律法学者とイエスさまの質問のやりとりについて記されている箇所であります。律法学者は、真実を知りたくてイエスさまに近づいてきました。そして、すべての命令の中で何が一番大切かと聞いたのであります。

マルコの福音書12章28-34節
イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」

ポイント

今日もはじめに2つのポイントをあげたいと思います。1つ目は「イエスさまの大切な教えをしっかりと守っていこう」ということと、もうひとつは「隣人を愛して神さまの愛を伝えていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

イエスさまのところにいろいろな人がやってきて聖書の教えに関することを次々と質問しました。祭司長、律法学者、長老たちは「神の権威」について、パリサイ人とヘロデ党の者たちは「税金を納めること」について、また、サドカイ人たちは人間の「復活」について次々と質問し、いまお読みしましたところ、律法学者のひとりがやってきて「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」とたずねるのでありました。

このイエスさまの話された重要な教え、もう少しこまかく見ていきたいと思います。まず「主は私たちの神。主は唯一である。」ことについて。

これはモーセの十戒、旧約聖書の出エジプト記20章に記されている1つめの戒めに書かれていることから、聖書にある神さま、天地万物を造られた神さま、全知全能なる父なる神さまだけが、唯一のまことの神さまであり、このお方のほかには神々があってはならないということであります。

つづいて2つめの戒めには、自分のために偶像を造ってはならないとあり、その続きに『わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである』とあります。イエスさまは神である主を愛するときに、『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』と言われました。口先だけで適当に主を愛するというのではなく、心の奥底から、真実を持って、全身全霊で主なる神さまを愛するようにと語られたのであります。

続いて「隣人を自分自身のように愛する」ということについて。これは申命記にではなく、レビ記の19章18節に書かれているみことばからの引用で、イエスさまの言われた隣人とはただ単に身近にいるユダヤ人の隣人ではなく、異邦人も含めた全ての人をさしていわれたのであります。

ルカの福音書10章にはよきサマリヤ人の話が出てきます。あるユダヤ人がエルサレムからエリコへ下る途中で、強盗に襲われ半殺しにされ動けなくなっているところ、ある祭司がおそわれた人のそばを通りかかると反対側を通り過ぎて行ってしまいました。今度はレビ人が通りかかったのですがこの人も反対側を通り過ぎて行きました。そこへあるサマリヤ人が彼を見つけるとかわいそうに思い、宿屋に連れて行き介抱したのであります。イエスさまはこのサマリヤ人のように、困っている人には誰であってもあわれみをかけることが隣人を愛することだと言われました。

適応

いまの私たちの日々の生活においては様々な制限があり、今まで出来ていたことが出来なくなってしまった、思うようにイエスさまの愛を実行していくこと、あらわしていくことが出来なくなってしまったかも知れませんが、発想の転換をして今まで出来なかったことが出来るようになることもあるかも知れません。

今だから出来るイエスさまの愛をあらわしていくことは何か、イエス・キリストの福音を証ししていくこと何か、あの人にメールをしてみようかな、教会のYouTube動画を連絡してみようかな、クリスチャン新聞と手紙を送ってみようかなといろいろなことを考えながら、イエスさまに知恵をいただきながら、福音の種を蒔いていくことが出来るように、伝道の扉が開かれるように祈りつつ行動に移してみたいと思います。

イエスさまの御愛がこのようなときだからこそ届けていけるように、主に期待しつつ、主に力をいただいて、歩んでいきたいと思います。