本物の喜びはどこからくるの?!

導入

パウロたちのヨーロッパでの宣教により、紫布の商人であるリディアという女性と占いの霊につかれていた女性が救いの恵みに預かり、そして、捕らえられたパウロたちを見張っていた看守とその家族が救いに導かれるのでありました。神さまはいろいろな立場の人を信仰へと導き、宣教の御業を拡大してくださったのであります。

使徒の働き16章19-34節
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。
それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「いつでもどこでも神さまに賛美をして過ごしていこう」ということと、もうひとつのポイントは「神さまといつも一緒に生活し本当の喜びを手に入れよう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

パウロたちにとって、今度はこの女奴隷の主人たちがやってきて、悪霊がこの女奴隷から出ていったことにより、商売が出来なくなった、収入源がなくなったと訴えてきて、パウロとシラスを役人たちのところに連れて行ったのであります。

すると長官たち、役人たちは、パウロたちがユダヤ人であるということ、この当時も人種差別ではないのですがユダヤ人であるということだけで反感を抱く人がいたようなのですが、秩序を乱して宗教儀式を行ったとみなされて、捕らえられてしまい、イエスさまが十字架にかけられる前の時のように群衆もパウロとシラスの行動に反対してむち打ちの刑に処せられることになってしまったのであります。

パウロたちは、イエスさまの時と同じようにムチの先には釘や器の破片が編み込まれているムチで打たれ、気を失って死んでしまうほどの厳しい刑を受け、それで終わりではなく、今度は木の足かせをはめられて投獄されることになってしまったのであります。

彼らの投獄、牢に入れられるということ、それだけでも苦痛であるのですが、足かせをかけられることによって、自由に動くことが出来なくなり、また思うように眠ることも出来ない状態であったのではと思います。

ムチ打たれた傷の跡は消毒してクスリを塗ってもらえることもなく痛みをこらえながら、寝ようとしても眠れないところで、彼らはただただ神さまだけを信頼し、神さまに全てをおゆだねし、神さまが必ず助けてくださると願いつつ、賛美と祈りを持って主をほめたたえるのでありました。
するとそのところに奇跡が起こるのでありました。彼らのいたところに大きな地震が起こるのでありました。彼らの閉じ込められていた牢獄の壁がくずれ、扉が全部開き、壁に埋め込まれていた鎖も外れてしまったのであります。

神さまがパウロとシラスの祈りと賛美に答えてくださり、大きな地震を起こしてくださり、それも彼らが壁の下敷きにならないように守ってくださって、苦しみの状態から解放してくださったのであります。神さまの素晴らしい不思議な奇跡の御業はこれで終わることがありませんでした。

パウロたちが捕らえられ牢獄に入れられた時、いまの警備員ではないのですが、看守が厳重に彼らを見張ることになっていたのであります。

大地震が起こったとき、牢獄の壁がくずれ、扉が開いているのを見た見張り人の看守は、囚人たちが逃げてしまったと思い、役人たちに囚人が逃げてしまいましたと報告をするのならば、きっと自分は殺されるだろう、自分のいのちとひきかえに失敗を償わなければならないと思い、自害・自殺をしようとしたのでありました。すると、「死んではならない!」と逃げてしまったと思っていたパウロの声を聞くのでありました。

看守はこの声を聞くと同時に、なぜこの人たちは逃げなかったのだろうか、痛みをこらえながら歌っていたあの歌は何だったのだろうか、この人たちはいったい何者なのかと恐れおののき、彼らの前にひざまずき、彼らを外に連れ出し「救われるためには、何をしなければなりませんか」とたずねるのでありました。

すると二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言われたのでありました。これを聞いた看守は二人を自分の家へと連れて行き、傷口の手当てをし、家族も奴隷もみんながイエス・キリストの福音による救いの恵みに預かり、洗礼・バプテスマの祝福に預かるのでありました。神さまの不思議な御業は看守の家族の救いへと導くことになったのでありました。

適応

私たちも主に贖われた救われた者として、本当のよろこびと楽しみをいただいて歩んでいきたいと思います。パウロたちが神の国と神の義を第一としていったように、私たち神さまだけを信頼し、神の国と神の義を第一として歩めるようにさせていただきたいと思います。