導入
ヨエル書2章21節から24節までのみことばから、収穫の時を待ち望みつつ喜び楽しむということについて、終わりの日に約束されている主なる神さまの恵みについてみことばを見ていきたいと思います。
ポイント
今日もはじめに2つのポイントをあげたいと思います。1つ目は「ウソをついたりだましたりしないで正しい歩みをしていこう」ということと、もうひとつは「実を結ぶ喜びが与えられることを感謝していこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。
解説
ヨエルはここで、嘆きと悲しみの思いを逆転させて、預言的賛美の中で大喜びするのでありました。21節には、大いなることをされた主なる神さまへの適切な応答として、「地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。」と語るのでありました。
主なる神さまが大いなる奇蹟をなされる、いなごで荒らされた地に再び牧草が生え、ぶどうやオリーブや穀物も豊かにみのり、人々はそれを見て大いに喜び、主の下るべき審判が中止された、「主が大いなることを行われたからだ。」とヨエルは大声で叫ぶのでありました。
この叫びは、破滅と死をもたらす飢餓が終わり、生命の豊かな恵みが回復されることを感謝する短い賛美として、主がお与えになった大地、自然、人間、獣の喜びを表現し、地の産物の回復が宣言されたのでありました。
また、23節には「シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。」とあります。これは、主なる神さまに対して熱心に仕え従っていく人々には、豊かな収穫と満ち足りる生活が約束されていることを表し、「初めの雨」「秋の雨」と「後の雨」「春の雨」を地に降らせて下さる主なる神さまへの感謝の賛美をささげよと語られているのであります。
ヨエルは、神のさばきに対する恐れと、神の介入に対する喜びとを比較して語りました。主の日、終わりの時に悔い改めない罪は裁きを受ける、罰を受けることとなってしまうのでありますが、神の愛と赦しを受け取るのならば罪や恐れが取り除かれて、喜びがあふれてくるのであります。
イスラエルの民は、迫害や災害によって苦しみに遭うと、断食をして罪の悔い改めの祈りをし、哀歌を持って嘆き悲しむのでありましたが、主なる神さまによって取り扱われると、主の日がおとずれることを喜びつつ待ち望むようになり、断食が終わると祝宴の食事を楽しみ、災害の被害は取り除かれて収穫の恵みに預かり、嘆き悲しみの歌は主なる神さまをほめたたえる賛美の歌へとかえられ、完全な回復が与えられるのであります。
適応
私たちが互いに愛し合い、赦し合い、生きる希望をいただいて、主にある兄弟姉妹の交わりを持って行くのならば、主なる神さまがこの世の物では満たすことの出来ない恵みを与えてくださるのであります。
私たち一人ひとりが本物のクリスチャンとして、主なる神さまを中心とした歩みをしていけるように、主なる神さまの喜ばれる歩みをしていこうではありませんか。
そして、御霊の実を一つひとつ結んでいき、また御霊の賜物も一つひとつ受け取っていき、私たちの周りにイエスさまの魅力を伝えていけるように、主を求めて、主に期待していこうではありませんか。