ずっとずっと愛しているよ

導入

早いもので昨年の今頃から始まりました、新型コロナウイルスの影響により、私たちの生活がガラッと変わってしまいました。そのような中、病によって命を落とす人や生活の苦しみによって自ら命を絶つ人が多くおり、医療の発展や科学技術の進歩によって最善のことがなされてきましたが、我々人間のできることは本当にわずかであるなと思わされました。

我々人間の身体は衰えて滅びてしまう存在であるのですが、我々の霊魂の部分において平安を得ることが出来るように、辛く苦しい問題があったとしても心穏やかに生活していくことが出来るように願いつつ、私たち一人ひとりが高価で尊い存在なのであり、神さまによって愛されている存在であることを感謝し、この地で生かされている日々を大切にしていこうと思わされております。

エレミヤ書31章3-6節
主は遠くから私に現れた。
「永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに 真実の愛を尽くし続けた。

ポイント

それでは今日も2つのポイントをあげたいと思います。1つめのポイントは「神さまによって愛されていることを感謝しよう」ということと、もうひとつは「神さまだけを信頼し、神さまの平安の中で生活していこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

今日お開きします箇所は、イスラエルの民に対する将来の希望が語られている箇所であります。

エレミヤが裁きのメッセージを語ると共に希望のメッセージも語るために用いられるのでありました。これは今日の箇所の続き、エレミヤ書31章28節にも書かれている約束であり、イスラエルの民が神から離れてしまったこと、イスラエルの不正と偶像礼拝をやめなかったことにより、神さまはバビロンの国を用いて、彼らを補囚の民とさせてしまうのでありますが、補囚後には、神がイスラエルの民との契約を新しくし、彼らの心を造りかえ、彼らが誠実を持って神を愛し従う者たちになる。またバビロンから約束の地へと戻り、ダビデの家系からメシアが現れると、イスラエルの民に対する将来の約束と希望が語られるのであります。

主なる神さまはバビロンの地にいるイスラエルの民がやがて約束の地へ、エルサレムへと戻り、若い女性たちが祭りのときに、喜び踊り、礼拝するときがやってくると約束しました。いまのあなたたちは神の裁きの中、異国の地において苦しみと悲しみの中で生活しているかも知れないが、わたしはあなたたちを見捨てることをせず、永遠の愛を持って、昔も今もそしてこれから先も愛し続けるだろうと語られるのでありました。

イスラエルの民にとってバビロンでの生活は、文化の違いや習慣の違いがあり、また主なる神さまを礼拝する場所がないといったいろいろな戸惑いに悩まされ、早く自分の生まれ故郷に帰りたいと思いながら、神さまの約束を信じて生活を送るのでありました。

適応

主なる神さまは平安と希望を与える計画を立てておられるということ、民が求めさえすれば見出すことが出来るということ、そして捕囚の地から人々を連れ戻されることを約束してくださったのでありました。

このような希望に満ちあふれた約束はうれしいけれども、目の前にある現実は厳しく、神さまの約束を信じることが出来ない、それよりも早くこの苦しみから脱出させてと思う人が多かったのではないかと思います。

私たちも様々な辛いこと、苦しいこと、困難なことがあると途方に暮れる、先が見えない、どうしたらよいかわからないといったようなことがあるかも知れません。これから先どうなるだろうか、働けなくなったら、食べる物がなくなったら、住む場所がなくなったらどうしよう、神さまどうしたらいいのですか、早く助けてくださいと叫びたくなることもあるかも知れません。

心配になることがたくさん、たくさんあるかも知れませんが、
イザヤ書43章4節「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」
と主なる神さまが語りかけてくださるのであります。

たちの大切な方との関係をしっかりと築いていくと共に、主なる神さまとの関係もしっかりと築いていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。主なる神さまは、私たちのことを「高価で尊い存在なのだよ」、「わたしはあなたをずっとずっと愛しているよ」と語っていてくださっています。

この神さまの御愛に少しでも応えて歩んでいけるように、いまも生きて私たちと一緒にいてくださる神さまとの個人的な関係をしっかりと築いていけるように、神さまの御声に耳をかたむけていこうではありませんか。

そして、神さまからの御愛をたくさん受け取って、私たちの周りにいる方々を愛していけるように、神さまの愛を多くの方に流していけるようにさせていただこうではありませんか。