イエス・キリストを信じること

導入

今日の箇所は、神さまの恵みによって義とされることについて、信仰によって義とされるということについて記されている箇所であります。パウロが神さまの救いの御業を語り、神さまの福音の本質を語ったのでありました。

ローマ人への手紙3章21-31節
すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。

ポイント 

① どんなことがあってもイエスさまについていこう

② これからもイエスさまだけを信じて生活していこう

③ イエス・キリストを信じること

解説

これまで人間の罪について語ってきたパウロは、神の恵みについて語りはじめます。神の業による救いは、人間の行いによるのではなく、罪のある者を義としてくださる、ただしい者であるとしてくださるというのであります。

旧約聖書の時代においては、人間の行いによって律法を守ることによってただしい者とされるのだというのでありましたが、本当の救い、本当に大切なことはイエス・キリストを信じることなのだ、イエス・キリストを信じる者は義とされる、ただしい者とされるのだというのであります。

この人生の大逆転といえる、天と地がひっくり返るような、これまでに無かった教えを語ったように思えたパウロの教え、パウロの新しい発見は、パウロがはじめて語ったのではなく、律法と預言者たちによって証しされてきたことなのであり、父なる神さまご自身によって絶えず明らかにされていたことなのだというのであります。

イエス・キリストを信じる者が神さまの御手の中で過ごせること、これは自慢することでも、誇りに思うことでもなく、信仰が与えられているからなのだというのであります。

自分の行いが大事であって、神の前に正しく生きているのだ、神に受け入れられるように頑張っているのだと自慢することは、罪人であるからなのであって、行いによる義認という偽りの刻印が押されていることになるのです。ユダヤ人であっても、異邦人であっても、割礼を受けていても、受けていなくても、神さまから与えられる信仰が大切なのであります。

私たちが誇りとすることはイエスさまの十字架以外には何も無いのであります。私たちが生きていくことにおいて大切なことをイエスさまだけを信頼して歩むことなのであります。

私たちの信仰は、すぐに揺らいでしまうものであり、調子の良いとき、都合の良いときは、神さま、ありがとうございます。神さまを信じて歩んでいきますと言えるのですが、目に見えて悪いことばかり起こる、何でどうしてということばかりである、イエスさまを信じるのをやめようかなと思うこともある、私たちの信仰は小さくて、不完全で、移り変わりが激しいのでありますが、イエスさまの信仰をいただいて、イエスさまにだけ信頼して歩む者とさせていただきたいと思います。

適応

私が頑張って生きているのではなく、キリストが私のうちにいてくださるので生きていられるのだと、感謝して歩めるようにしたいと思います。

どんなことがあっても主を信頼して歩んでいくことが出来ますように、いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝して過ごしていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。