今日の箇所は、異邦人が神の義を追い求めてこなかったのに義を得たということと、イスラエルが行いによって、自分の力によって義を追い求めてきてつまずいてしまったということについて記されている箇所を見たいと思います。神さまの導きはどこにあるのかということにも注目しつつ、みことばを通して親しく語りかけてくださる神さまに期待していきたいと思います。
ポイント
① イエスさまの光に照らされて歩んでいこう
② みことばの約束を信じて生活していこう
③ この方に信頼する
解説
異邦人は神に受け入れられること、救いに預かることに関しては、全くの無関心でありました。義とされる、何のこと、そんなの関係ないよ、と思っていた状態から、キリストの福音の真理が伝えられるとすぐに受け入れてしまって、義と認められて、神さまとの関係が回復されて、救いの恵みに預かるのでありました。
では選びの民であったイスラエルはどうであったかというと、義の律法に従っていたのでありましたが、義の律法に到達しなかったというのであります。イスラエルの民は、心から着実に神に受け入れられることを目指して歩んでいたのでありましたが、すべての律法を完全に守らなければならないと考えて失敗しまったのであります。
イスラエルの民は、信仰ではなく行いによる救い、律法の業によって救いを受ける、あたかもそれが達成可能であるかのように求めたことによって失敗してしまったのであります。救いは信仰によってのみ達成可能にすることが出来るのであって、彼らはそのチャンスを逃してしまったのであります。
適応
暗闇の中では光がなければつまずいてしまうのですが、光にてらされて歩むのならばつまずくことはないのです。私たちが光であるイエスさまに信頼して、一緒に歩んでいくのならば永遠の救いに預かることが出来る、平安の日々を過ごすことが出来るのであります。
今日このとき、もう一度、イエスさまを信じる信仰を確かなものとしていただいて私たちを照らしてくださるイエスさまをしっかりと見ようではありませんか。そして私たちに光が与えられていることを感謝してイエスさまの光の中を歩んでいこうではありませんか。