イエスさまについていく

今日の箇所は、イエスさまがペテロに3度、「わたしを愛していますか」と尋ねた箇所であります。イエスさまの愛とあわれみがペテロに注がれるのでありました。

ヨハネの福音書21章15-19節

イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

ポイント

① いつもイエスさまの御声を聞いて従っていこう

② イエスさまの御愛をしっかりと受け取っていこう

③ わたしを愛していますか

解説

ペテロはイエスさまから3度も「わたしを愛していますか」との質問を受けるのでありました。

イエスさまは「あなたはわたしを愛していますか」とペテロに聞かれるのでありましたが、新改訳聖書の欄外注を見ますとよくわかるのですが、15節、16節には、「あなたはわたしを愛しますか。」の「愛」ということばが「アガパオー」という単語、言い替えると「アガペー」という単語が使われており、17節では「フィレオー」という単語であることがわかります。

これまでのペテロでしたら、イエスさまが「アガペー」の愛を用いて「わたしを愛するか」と聞かれたら、同じように「アガペー」の愛を使って「もちろん愛していますよ!」と答えたのではないかと思うのですが、ゲッセマネで一緒に祈っていておくれと言われたのに寝てしまった。イエスさまが捕まったときイエスさまのことを3回も知らないと言ってしまった。イエスさまが十字架にかかっているときそばで祈っていれば良かったのにいなくなってしまった。自分の言葉と態度が、高慢であった、高ぶっていたということを思い知らされ、悔い改め、謙遜にさせられ、復活のイエスさまと再会したときには「フィレオー」の愛でしか答えることができなかったのでありました。

イエスさまはペテロの答えを聞いて、この人は本当に悔い改めたのだな、心砕かれたのだなと思わされ、3回目の質問においては、「フィレオー」の愛を使って「わたしを愛するか」、言い換えるのならば、「あなたは本当にわたしの友であるのか」と聞かれたのでありました。

ペテロはこれを聞いて心を痛めるのでありましたが、このイエスさまの質問を聞いて、また自分の答えることを思い巡らして、徐々に、徐々に心のキズが癒されていったのでありました。イエスさまはペテロの愛が思いや感情に左右されるものではなく、心からあふれでる神さまの愛、何があっても変わることのない愛になるように願われたのでありました。

イエスさまの言われたことは「あなたは主のために何でも喜んでするか」とか、「ほかの人々を愛しているか」とかではなく、「あなたは本当にわたしのことを愛しているか」という問いかけであり、主に従い仕えるという絶対的な動機は、神に対する深い心からの愛、ただひとつであるということを教えたかったのであります。

あのときにはあれをしたとか、このときにはこれをしたとかではなく、そのときどれだけ神さまを愛していたかということが重要であって、わたしはあなたのことを何があっても愛しているのだからわたしといつも一緒にいなさいと語りかけてくださるのであります。

適応

今日この時、イエスさまが私たちにも同じように語りかけてくださっています。イエスさまの御愛を心いっぱいにいただいて、主なる神さまの恵みに満たされたいと思います。そして、絶えず神さまの御声に耳を傾けていけるように、霊の耳、霊の目をしっかりと開いて、主の御声に従っていきたいと思います。