すべてを知っておられた主

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6月の始めに体調を崩し、咳が止まらなくなり喘息と診断され、その後、年に一度の健康診断を受けましたところ、白血球の1つである好酸球の数値が異常に高く、肺炎を患っていることがわかり、すぐに病院で検査を受けるようにと言われ病院で受診しました。

検査の結果、#好酸球性肺炎 と診断されすぐにでも入院するように言われたのですが、日曜日の奉仕のこと、オンラインでのミーティングを控えていたことなどから、帰宅して様子を見るということにしました。

けれども、容体が悪くなる一方で、オンラインのミーティングはなんとか参加しましたが、結局日曜日には礼拝に行かれず、その後は食欲がなくなり、起き上がることもできなくなり、しまいには体重が6kgも落ちていることに気がつき、病院の予約の前日、6月20日に入院の準備をして受診をするとそのまま入院となってしまいました。

入院をした週、いろいろな精密検査をしてもらったところ、血管の中で炎症が起こり血管を破壊する病気であることがわかり、肺炎、皮膚炎、脳梗塞などを併発していることから最終的に #結節性多発動脈炎 という難病の診断をされるのでありました。

後から考えると #脳梗塞 になっていたことから記憶障害が起こり、簡単な計算ができなかったり、生年月日が言えなかったり、ひらがなを書くことが出来なかったりと。また手足のマヒもあったため歩くことができなくなったり、お箸が使えなかったり、握力の低下により細かな作業ができなかったりとこれからどうなってしまうのだろうと不安な日々でありました。

しかし、多くの方から祈られているということに励まされ、回復に向けて頑張ろうという気持ちが湧いてきまして、日々、手や指を動かして作業するリハビリと下半身の筋トレや歩行訓練などのリハビリに励み、日常生活をおくれるようになって、8月3日に無事退院することができました。

退院後も長期的な治療や自主的なリハビリが必要なのですが、再発をしないように体調のコントロールや体力維持に励みつつ、主から与えられた恵みに感謝し、過ごしていきたいと思っております。みなさんのお祈りを心から感謝いたします。

詩篇139篇1-2節

主よ あなたは私を探り 知っておられます。

あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。

ポイント

① いつも神さまと一緒に生活していこう 

② いまも生きているイエスさまに助けてもらおう

③ 私を知っておられます

解説

この詩篇139篇は天地万物を創造された神さまと作者であるダビデとの個人的な親しい関係が描かれており、主なる神さまが全てを知っておられ、何でも出来るお方で、いつでも、どこでも一緒にいてくださる素晴らしい神さまであると記されています。

この詩篇の作者であるダビデは、主なる神さまとの深い関係が結ばれていたことによって、このお方は絶対に裏切ることがないと確信し、信頼をし、全てを委ねて歩んでいくのでありました。

苦しく、辛く、どうにもならない試練が訪れたとき、ダビデはこの世の地位や名誉、人間関係や物質に頼るのではなく、全知全能なる神さまだけを頼り、信じ、すがっていったのであります。

この139篇の1節には、「私を探り」ということと、「私を知って」ということが書かれています。「探る」ということばは、中途半端にではなく徹底的に調べるという意味があり、神さまが我々人間の全てのすべてを調べることの出来るお方であるとダビデは告白し、宣言しています。また「知る」ということについては、主なる神さまは我々人間が、イスに座るとき、立つとき、またそれとともに、座ろうと思ったこと、立とうと思ったこと、どんなに小さなことでも知っておられる全知全能なる神さまであると告白しています。

ダビデは父なる神さまの偉大さについて語るとともに、全てのすべてを知っておられる神さまに対して信仰の告白をするのでありました。主なる神さまに対して全幅の信頼を寄せて、導きを求めて歩んでいくのなら、素晴らしい恵みと祝福と思いもよらない不思議なことを行ってくださるのであります。

適応

主なる神さまは、私たちの全てを知っていてくださり、座るとき、立つとき、しゃべるとき、何かを考えるとき、またどんなときであっても、どんなことであっても全てのすべてをご存じであるのです。 私たちのことを前からも後ろからも、上からも下からも、神さまの大きな御愛に満ちた御手で包んでくださり守ってくださる。私たちが何か成功したとき、失敗したときも全て知っておられて、導いてくださり、祝福してくださるのであります。

詩篇63篇4節から8節を読みますと、父なる神さまこそが全知全能であり、私たちの行いの全て、心の状態の全てを知っていてくださるので、どんなことが起こっても、私たちのことを見守ってくださり、かくまってくださるのであります。

イエスさまはいまも生きている私たちといつも一緒にいてくださいます。イエスさまが私たちの罪を赦し、救うために十字架にかかって御血潮を流してくださり、死んでよみがえって、いまも生きて私たちのことを助け導くために御手を動かし働いていてくださっているのであります。十字架にかかり、よみがえられたイエスさまはいまも生きておられて、私たちのためにとりなしてくださっているのであります。

6月20日から8月3日まで考えもしなかった入院生活をすることになり、これまでの生活や教会での働きを完全にシャットダウンさせられ、韓国チームの受け入れ、活水聖書学院でのクラス、御殿場研修会での奉仕などいろいろな働きをストップさせられた状態になり、これまで積み上げてきた働きを取り上げられてしまった状態になってしまいました。

また生活面においては、自分で出来ていたことが思うように出来ない、トイレも一人で行かれない、着替えも思うように出来ない、ペットボトルのふたやジャムの袋が開けられない、お箸も使えないし食欲もない。しまいには、聖書も読みたくない、お祈りもしたくない、主を信じる信仰はどこにいってしまったのか、もう牧師としてやっていかれないのではないかと不安な日々を過ごし、この病気によって何もかも取り去られてしまった状態、人生の負け組の一人になってしまったような思いになり落ち込む日々を過ごすのでありました。

病を患い入院してから3ヶ月が経ち、まだまだ治療が必要で、ふとしたときになんで病気になったのかなと考えるときがあるのですが、神さまによって選ばれてしまったのだと感謝し、気持ちを切りかえて歩んでいきたいと思わされています。

十字架にかかり死んでよみがえってくださった主はいまも生きておられて働いていてくださって、私たちといつも一緒にいてくださるのであります。イエス・キリストは昨日も今日もとこしえに変わることのないお方であります。これからの日々もこのお方だけを信頼し、このお方だけに期待し、主と共に歩む者とさせていただきたいと思います。