イースターおめでとうございます。今朝このようにしてみなさまとともにイエス・キリストの復活をお祝いする礼拝をお献げできますことを心から感謝いたします。
今日の箇所は、イエスさまが十字架にかかり、墓に葬られた後、復活の日の朝、すなわち日曜日の朝の出来事について記されている箇所であります。
ポイント
① いつもイエスさまを信頼して生活していこう
② イエスさまの平安をいただいて歩んでいこう
③ 平安があなたがたにあるように
解説
イエスさまの身体に香油を塗ろうとしてやってきたマグダラのマリヤは、空っぽになっていたお墓を見るのでありました。
空の墓を発見したマリヤは、ペテロとイエスの愛弟子のところへその状況を話しました。これを聞いた弟子たちは、イエスさまの言われたことばを思い出すことが出来ず、空っぽになったお墓を確認しにいくのでありました。
イエスさまの弟子たちの考えには、見たから信じるということが前提になっており、実際に目の前で起こっていることを見ないのならば信じることが出来なかったのであります。
弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、今度は自分たちも十字架につけられるのではないかと思い、戸を閉め、鍵を閉め、一つの所に集まっていました。しかし、そのところにイエスさまが現れたのであります。
イエスさまは、十字架に釘付けにされた傷跡のある肉体であったのですが、子なる神として、この世の考えを全てくつがえして、死に勝利してくださったのであります。
イエスさまの弟子たちは、イエスさまが死んでしまった、これまで教えてくれたことはウソだったのか、周りの人からはなんて思われるだろうか、いろいろなことを心配して、自分たちの身を守るため一つの所に集まって隠れていました。しかし、そのところに復活したイエスさまがやってきてくれたことにより、ことばでは言い表すことの出来ない、この上もない喜びで満たされたのであります。
適応
「平安があるように」ということばは、いまを生きる私たちにも語られています。いま、何か苦しみに遭われている方、病で苦しんでいる方、解決の出来ない大きな問題にぶつかっている方、私たち一人ひとりに、イエスさまが「平安があるように」、「心配しなくて良いよ」、「大丈夫だよ」と声をかけていてくださっているのであります。
イエスさまは、いま私たちの目には見ることが出来ませんが、信じることが出来るようにさせていただきたいと思います。
私たちの信仰生活において見ないでも信じることができるように、主なる神さまを信じて行動していくことが出来るように、毎日の生活において何気なくしている小さなことにおいても、たまに取り組まなければならない大きなことにおいても、聖書のことばを思い巡らして、祈りつつ、主を信頼して歩んでいきたいと思います。