祈りは聞かれる

導入

今朝もこのようにしてみなさまと共に礼拝をおささげできますことを、心より神さまに感謝いたします。イザヤ書の中にこのように書かれています。

イザヤ56章 7節

わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。・・・わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

今日のポイント

今日の箇所は、アンテオケの教会が異邦人への伝道のスタート地点となり神さまの御業があらわされていたのでありましたが、それとともにエルサレムにおいて新たな迫害が起こり悲しい事件が起こっていったことについて記されている箇所でございます。

みことばに入る前に、今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「辛くて悲しいことが起こってもお祈りをして乗り越えていこう」ということと、もうひとつのポイントは「神さまがお祈りにこたえてくれていつも助けてくれることを感謝しよう」ということについて見ていきたいと思います。それではもう一度使徒12章1節から5節までお読みします。

解説

「①そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、②ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。③それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。④ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。⑤こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」

1節に記されているヘロデ王はユダヤ人たちの人気を得るため、ユダヤ人たちのリーダーを自分たちの仲間にしようと考え、イエスをキリストと信じる者たち、ユダヤ人たちが煙たがっている者たちを苦しめてやろうと考えて、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺してしまうのでありました。

ヘロデはナザレのイエスの弟子を懲らしめれば、ユダヤ人のリーダーたちは喜ぶに違いないと考えて、計画をたてて実行するのでありました。ヘロデによるクリスチャンの殺害、ヤコブの処刑によりヘロデの考えたとおり、ユダヤ人のリーダーたちが喜んだのを見て、今度はペテロを捕まえて処刑してやろうと計画するのでありました。教会においては心をあわせて、一つになって、ペテロのために熱心に祈るのでありました。続いて使徒12章6節から11節をお読みします。

「⑥ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。⑦すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。⑧そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。⑨そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。⑩彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。⑪そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」

捕らえられたペテロは、二人の兵士にかけられた鎖につながれ、牢の入り口には番兵が見張り、どうやっても逃げられない、誰も助けられない状態でありました。もう絶体絶命といった状況の中で、主の御使いが現われ光が牢を照らすのでありました。ペテロは熟睡していたためか御使いに脇腹をつつかれて起き上がり、何が起こったのかわけもわからずに、御使いの言うとおりに、帯を締め、靴を履き、上着を着て、御使いについて行くと、3つの門を通過して外に出るのでありました。神さまのみこころによってつながれていた状態から解放されて自由の身にさせられるのでありました。

御使いが見えなくなった後で、ペテロはふと我に返り、いま私を救ったのはイエスさまであったのだと理解するのでありました。もう逃れられない、自分もステパノのように、ヤコブのように殉教するのかと思っていたところ、主は救い出して下さったのだと知り、複雑な思いであったのではと思いますが、これからどのようなところに導かれていくのだろうかと思い巡らしつつ、急いでこの場所から安全な場所へ逃げなくてはならないと思い仲間たちが集まっているところへ行くのでありました。12節から17節をお読みします。

「⑫こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。⑬彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。⑭ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。⑮彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。⑯しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。⑰しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。」

適応

さて、今日はアンテオケの教会が異邦人への伝道のスタート地点となり神さまの御業があらわされていたのでありましたが、エルサレムにおいて新たな迫害が起こり悲しい事件が起こっていったことについて記されている箇所を見てきました。教会は苦しみ悲しみの中でも祈ることが出来る、そして祈りによって新しい道が開かれることを今日のこの箇所から知ることが出来るのであります。