イエスさまの十字架

導入

今週は教会の暦において「受難週」を迎えました。イエスさまが十字架にかけられることを思いながら過ごす1週間でありますけれども、イスラエルにおいてユダヤの人々にとっては過越の祭りが祝われる大切な季節でもあります。今年の受難週、そしてイースターはいつも違い、今までにない苦しい日々でありますが、イエスさまの十字架を忘れないで過ごしていきたいと思います。

マタイの福音書27章45-50節
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

ポイント

1つめは「イエスさまが十字架を見上げて歩んでいこう」ということと、もうひとつは「罪の赦しと救いの恵みが与えられていることを感謝しよう。」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

イエスさまが十字架につけられたとき、通りがかりの者たちは頭を振りながらイエスさまをののしり、また祭司長たちや律法学者たちはイエスさまを侮辱しあざけっていました。42 節と 43節を見ますと、「他人は救ったが自分を救うことは出来ない」のかと、一緒に十字架につけられた強盗も、同じようにイエスさまのことをののしりました。

彼らは、父なる神さまのみこころもイエスさまの真実も理解しないままに、十字架につけられた主なる神であるイエス・キリストをあざけったのでありました。このようなたくさんのあざけり、ののしりを受けられたイエスさまは、ただひたすら黙して十字架の苦しみに耐えるのでありました。イエスさまの十字架の苦しみを思うとき、イザヤ書53章のみことばを思い出します。

新約聖書にある4つの福音書を見ていきますと、イエスさまが十字架の上で7つのことばを語られたことがわかります。その最初のことばとして「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたことが記されています。これは詩篇22篇1節のみことばを引用して語られたことばであるのですが、このことばを聞いたユダヤ人たちは詩篇22篇全体を思い出すことになり、イエスさまの十字架によってこれらのことが成就することになったのだと、この人は私たちの先祖ダビデが預言したメシヤだったのかということ、旧約聖書のあらゆるところに記されていたことが現実になったのかと知ることになったのでありました。

詩篇22篇7節にはののしり、あざけるとあるけれども、いま目の前でこの預言が成就したと身の毛もよだつ思いで、震え上がりおびえる思いで、目の前で起こっていることを見届けていたのではないかと思います。
詩篇22篇を思い出してもなお目の前で起こっていることを受け入れず、イエスさまの存在を否定する者たちはののしり、あざけるのでありました。

全ての人の罪を赦すために、父なる神さまはひとり子であるイエス・キリストを身代わりとし、「死」をもって罪の償いをしてくださったのであります。

適応

今日は、受難週を迎えて、イエスさまの十字架の苦しみを思いながら礼拝をお献げし、聖書のみことばを開いてきました。旧約聖書にある預言を一つひとつ成就されていった救い主であるイエス・キリストが、いまを生きる私たちの罪をも赦し、救いへと導いてくださるお方であることを感謝し、信じて歩めるようにさせていただきたいと思います。

イエスさまが全ての人の罪を負い、のろわれたものとなってくださったことにより、救いの恵みを現してくださった、それもアブラハムへの祝福が異邦人にも注がれるようにとしてくださった、イエスさまの十字架にはとても深い意味が込められており、神さまの素晴らしいご計画があらわされているのであります。

今週はイエスさまの十字架を思いながら過ごす受難週であります。イエスさまの十字架の苦しみを思いながら、主の御前にごめんなさいをして赦していただく必要があれば、罪を赦していただいて、きよめていただいて、神の子として歩んでいけるようにさせていただきたいと思います。