導入
今日の箇所は、苦しいところを通らされたパウロたちでありましたが、新しい宣教地であるイコニオムへと出かけて行き、イエス・キリストの福音を語り続けるのであります。このところにおいても救われる者がたくさん起こされて主の恵みがあらわさていくのでありましたが、それと同様に迫害も受けることになるのでありました。
ポイント
1つ目のポイントは「辛く苦しいことがあっても神さまの助けを信じていこう」ということと、もうひとつのポイントは「聖書のみことばの恵みと喜びを受け取っていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。それではもう一度1節をお読みします。
解説
イコニオムについた彼らはまずユダヤ人の会堂に入って、イエス・キリストの福音を証するのでありました。異邦人伝道のために出かけた彼らでありましたが、いつものように同胞の民であるユダヤ人の救いのために働きかけるのでありました。
パウロとバルナバがユダヤ人の会堂でイエス・キリストの福音を証すると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人々が救いの恵みに預かるのでありましたが、やはりここでも信じようとしない者たちがあらわれて彼らに悪意をいだくのでありました。
そんな迫害を受けながらも主の恵みを語り続け、主によってしるしと不思議なわざを行い、御恵みのことばの証明していくのでありましたが、さらなる迫害がひどくなり、分裂分派も起こり、石打にしようという陰謀がおこったとき、彼らは難を避けるためにルカオニヤの町へと逃げていくのでありました。
救われる者が起こされて感謝である、けれども迫害も多く、命の危険を覚えることもあり、もうここら辺でやめておこうかなと思ってしまう、心折れるようなこともある、けれども福音を伝える召しが与えられていた彼らはやめることなく、あきらめることなく、ひたすら福音の宣教を続けていくのでありました。
ローマ人への手紙10章12節から15節のところを見ますと、パウロとバルナバは、まさにイエス・キリストの福音を伝えるりっぱな足をもった人々であったのです。
パウロとバルナバの働きについて、彼らにはまさに聖霊なる神さまの働きによって助けられて宣教の働きを行うことが出来たのであります。
適応
ここ数ヶ月の間、テレビやインターネットを見ると「新型コロナウイルスの感染」に関することばかりで、「コロナ疲れ」とか「コロナ鬱」といった言葉も聞くようになってきました。私自身も日々いろいろな決断を迫られている中、「コロナ疲れ」とか「コロナ鬱」にならないように、みことばと祈りによって強くしていただいて、与えられている責任を全うしていけるようにと思っております。
主なる神さまを愛する者たちの救いが完成するためには、悪いことが何でも良いことになるというのではなくて、全てのことが役に立っていくのである。神さまのご計画は完全・完璧であると信じることが出来るのであります。
パウロとバルナバに、イエスがしるしと不思議なわざを行わせて、御恵みのことばを証明されたように、いまも生きて私たちと一緒にいてくださる神さまは、私たちのことをも助けてくださって、守ってくださって、恵みのみことばを与えてくださるのであります。
これからの日々も辛く苦しいことがあっても神さまが助けてくださることを信じて、主と共に歩んでいこうではありませんか。そして、聖書のみことばの恵みをしっかりと受け取って、感謝と喜びをもってこれからの日々も過ごしていこうではありませんか。