神のことばが語られる喜び

導入

さて今日は久しぶりになりましたが、使徒の働きをお開きしましてみことばを読みすすめていきたいと思います。

今日の箇所は、パウロとバルナバがイエス・キリストの福音を証したあと、主を信じる信仰が与えられて救いの恵みに預かる者たちが起こされ、多くの人たちが主のみことばを聞いて聖霊に満たされ神さまの恵みを喜ぶのでありました。

次の安息日には会堂に入れきれないほどの多くの人々が集まるのでありましたが、多くの人たちが集まっているのを見てねたみに燃えたユダヤ人たちが、パウロたちに汚い言葉で悪口を言ってののしり、彼らを追い出してしまうのでありました。

使徒の働き13章42-52節
異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。

ポイント

1つ目のポイントは「神さまのことばを聞いて喜びに満ちた生活を送っていこう」ということと、もうひとつのポイントは「苦しいことがあっても神さまに助けてもらって歩んでいこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

パウロとバルナバの二人が説教を終えて会堂を出ると思いもよらない反応が返ってきました。それは次の安息日にももっと話をしてほしい、もっと多くのことを聞きたいという要望でありました。

この二人が語ったことは何であったかといいますと、イスラエルの神が我々の父祖たちを選んだということ、イスラエルの民をエジプトの地から救い出してくださったということ、荒野を旅して約束の地へとみちびいてくださったということ、ダビデを選ばれて神さまのご計画を成就してくださったということなど、イスラエルの民であるあなたたちの先祖が父なる神さまによって導かれてきたことについてであり、ナザレのイエスが十字架にかけられて殺されたのは、預言者たちの語ってきたことが成就するためであって、イエスの復活により、悪しき者の力に勝利し、神の民への約束が完全であることを証明してくださったのだと語ったのでありました。

彼らは集まっていた多くのユダヤ人と改宗者たちにイエス・キリストの約束を信じ、神の恵みにとどまり続けるようにと励ますのでありました。

イエス・キリストの福音を証するためにやってきたパウロとバルナバは、会堂に入れきれないほどの多くの人々を見て励まされ喜んだのではないかと思います。

けれどもうれしいこともあれば苦しいこともある。多くの人たちが集まっているのを見てねたみに燃えたユダヤ人たちはパウロたちに汚い言葉で悪口を言ってののしるのでありました。

パウロやバルナバは何とかして同胞の民を救いたい、ユダヤ人たちに神のことばを聞いてもらいたいと願っていたのでありましたが、一部の人たちはイエスを十字架にかけた者たちと同じように、イエス・キリストの救いを拒否して受け入れようとしなかったのであります。

彼らの反応を見て失望し落胆したパウロは、イザヤ書49章のみことばを引用して、これからの宣教の対象を異邦人へとシフトしていくことを宣言するのでありました。

適応

主のみことばに飢え渇いて求めていった者たちのように、私たちも絶えず主を求めて、主のみことばに耳をかたむけて歩むことが出来るようにと願うのであります。

ルカの福音書7章のところに、百人隊長は自分のしもべが病気で死にかけているとき、イエスさまなら病を癒すことが出来ると信じて出かけて行き、「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」とイエスさまに申し出るのでありました。

私たちの信じているイエスさまは十字架にかけられて死んで終わりではなく、よみがってくださったことにより、いまも生きていて私たちといつも一緒にいてくださるのであります。

今日このとき、主がおられることを感謝しつつ、主から力をいただいて歩んでいこうではありませんか。そして、神さまの喜びを自分の喜びとして歩んでいくことが出来るように、神さまのみこころを求めて歩んでいくことが出来るようにさせていただこうではありませんか。