私たちは神によって造られた

導入

イスラエルの民が父なる神さまによって造られた存在なのだ、父なる神さまは陶器師であり我々は粘土であり器なのだと語られているのであります。

イザヤ書64章8節
しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。 私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。 私たちはみな、あなたの御手のわざです。

ポイント

今日も2つのポイントをあげたいと思います。1つめのポイントは「神さまの子どもとなって神さまの約束を信じていこう」ということと、もうひとつは「御国が来ますように、みこころがなりますようにと祈っていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

このイザヤ書64章は63章からの続きで、神のしもべたちが新しいエルサレムを受け継ぐ者とされ、神のメシアの王国が来ますようにと祈る箇所であり、神の約束を信じて守る者たちは神の国に入れていただけると約束されているのに対して、悪しき者たちは、神の正義によって裁かれ、神の都から追放されてしまうというのであります。

主の御前に悔い改めて、へりくだって歩む者たちは、主の救いの中に、新しい都へと入れられ、主からの報酬を受けることが出来るという、イザヤの時代からはるか昔に語られた神の契約、神の約束が現実となると希望を持って歩んでいたのでありました。神によって造られた者である神のしもべたちが神の国に入れられるという父なる神の約束を信じて歩むのでありました。

いまを生きる私たちも父なる神さまによって救われた者、愛されている者として、神さまの祝福のご計画の中に組み込まれているのであります。
神の国がこの地にあらわされることを信じ、主なる神さまのご支配が現実になることを期待して、聖書に記されている世界が私たちの周りにもあらわされることを願いつつ歩んでいきたいと思います。

適応

私たちも神のしもべとさせていただいて、この日本に、神奈川に、そして平塚・大磯に、神の国があらわされるようにと宣言していくとともに、悔い改めの祈りをしていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。

私たち一人ひとりが神さまによって造られた者として、神さまの御愛をたくさん受けたものとして、神のしもべとして御国を受け継ぐ者とさせていただきたいと思います。そして、私たちの日々の歩みにおいて、主を愛し、主に仕え、隣人を愛し、隣人に仕えていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。