人は何のために生きているのだろう

導入

今日お開きします箇所は、命を狙われていたパウロがこれからどうなってしまうのかと思われた時に、同胞の民であるユダヤ人たちにイエスさまと出会ったときの体験を大胆に語る箇所であります。パウロはイエスさまの出会ったことによって、人生が180度変えられてしまうのでありました。

使徒の働き22章1-11節
私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』と。
私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「神さまを信じて光の子どもとなろう」ということと、もうひとつのポイントは「いつもイエスさまと一緒に生活していこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

兵士たちはパウロを連れて行く途中、群衆たちが「パウロを殺してしまえ!」と叫びながらついてくるので、さらなる事件が起こらないようにと、パウロを担ぎ上げて連れて行くのでありました。担ぎ上げられていたパウロは、いまがチャンスと思ったのか、千人隊長に話しをさせてほしいと「私はキリキアのタルソ出身のユダヤ人であって、この町の市民なのです。とお願いをするのでありました。千人隊長はパウロの訴えを許可したので、パウロは階段の上に立って、民衆を静かにさせ、ヘブル語で次のように語りかけるのでありました。

以前の私はこの道の者、キリストを信じる者を迫害し、多くの人を縛って牢に入れてきた。このことについては、あなたたちもよく知っている大祭司や長老会に聞くのなら証言してくれるだろうと語り、さらに多くのキリストを信じる者たちを捕らえるためにダマスコに向かったのだと語るのでありました。この話を聞いていたユダヤ人たちにとって、このことはとても衝撃的で、以前に話しを聞いたあのうわさのサウロのことではないかと思ったと思います。静まりかえったところに張り詰めた空気が流れるとパウロはイエスさまと出会ったときのことを大胆に語り出すのでありました。

パウロはイエスさまと出会ったときの体験を語りました。このダマスコ途上におけるイエスさまの出会いについて、使徒の働きを書き残したルカは、9章に記したことを、今度はパウロの体験談をふまえて書き記しました。この22章において、9章に記されていることに付け加えて書かれていることは、目が見えなくなった理由は光の輝きによること、原典のギリシヤ語の聖書を見ますと、光の栄光によることであると書かれています。パウロはまさに主なる神さまから発せられる光の栄光によって目が見えなくなってしまったというのであります。

神の栄光の光に偉大な力があるので、パウロは神の光の輝き、光の栄光によって目が見えなくなってしまったというのであります。イエスを信じる者たちを迫害していた者が、復活のイエスさまと出会ったことによって、人生が180度変えられてしまったのであります。

適応

私たちが天でなされているみこころがこの地でもなりますようにと祈り、私たちのいかされているそれぞれの場所で神さまの光をはなっていくのならば、神の国が、神さまの御支配があらわされていくのであります。

主に喜ばれることは何かと考えながら、光の実を結んでいくことが出来ますように、さまざまなことを通してイエスさまを証ししていくことが出来ますようにさせていただきたいと思います。

また私たちもイエスさまと出会ったときのことを思い出して、イエスさまの御愛に感謝していくことが出来ますように、イエスさまと共に歩めることを喜んでいけますように、私たちの信仰をさらに増し加えていただきたいと思います。