主に愛された存在

導入

今日、導かれましたみことばは、旧約聖書のイザヤ書56章6節から8節のみことばでございます。今年の年間聖句と同じ書簡であるイザヤ書でありますが、この箇所においては、安息日の厳守について書かれている箇所であり、神の民であるイスラエルは、礼拝の民であるということに希望があるのだと、礼拝を中心にして生活することによって祝福に満ちた日々を過ごすことが出来るのだと記されている箇所であります。

イザヤ書56章6-8節
また、主に連なって主に仕え、 主の名を愛して、そのしもべとなった異国の民が、
みな安息日を守ってこれを汚さず、 わたしの契約を堅く保つなら、
わたしの聖なる山に来させて、 わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。
彼らの全焼のささげ物やいけにえは、 わたしの祭壇の上で受け入れられる。
なぜならわたしの家は、 あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。

ポイント

今日も2つのポイントをあげたいと思います。1つめのポイントは「いつも神さまを信頼して神さまの声を聞いて従っていこう」ということと、もうひとつは「神さまを愛し、神さまの喜ばれることを行っていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

神さまのご計画に組み込まれた神のしもべたちは、主を愛し、安息日を守り、祈りの家における礼拝を大切にするようにと語られているのであります。

これまで創世記の最初から語られてきた安息日の重要性について、このところにおいてもくり返し語られるのでありました。

このところで語られている主からのメッセージは、主の名を愛して、しもべとなったイスラエルの民も異国の民も、みなが安息日を守ってこれを汚さずに、神との契約に心を留めて、回復された神との関係を大切にしていくのならば、聖なる山において、祈りの家において楽しむことができるというのであります。

このところで語られていることは、ただ単に安息日が重要なのだというのではなく、主なる神さまをどれだけ愛しているかということと神との契約をどれだけ忠実に守っているかということが大切なのであるというのであります。

旧約聖書を読んでいくときに、これはイスラエルの民に語られていることだから私たち異邦人には関係ないと思えてしまうかも知れませんが、今日のお開きしましたみことばを含めて、私たちにも語ってくださっている神さまからの希望のメッセージなのであります。

私たちは、全知全能である神がおられることを喜ぶのであり、賛美をささげ、礼拝をし、祈るのであります。教会に集う前の私たちは別々の他人であったのですが、神の存在を信じ、神を礼拝する者となった私たちは、生まれたところが違っても、年齢が違っていても、養子縁組を結ばれた者同士、兄弟姉妹となるのであります。

適応

ダビデは主の家において献げる礼拝がどんなことよりも素晴らしく、何にも変えることが出来ないことであると語ったのでありました。ダビデにとって最も重要視されることである礼拝でありましたが、うれしいときや楽しいときはもちろんのこと、つらいときでも苦しいときでも守るべきこととしていたのであります。

私たちのこれからの日々、主とともに歩み、平安の中を過ごすことが出来るように、いかなるときでも、喜びと感謝の賛美をささげることが出来るようにさせていただきたいと思います。

そして、いつでもどこでも、神さまとの交わりを楽しみ、いのちの日が続く限り、この地で生かされる限り、主の麗しさを仰ぎ見ることができますように、私たちに救いをもたらしてくれた主に信頼することができますようにさせていただきたいと思います。