神さまの約束は絶対!

導入

今日の箇所は、アンテオケから始まった伝道の働きがキプロス島に渡り、今度はパウロの郷里に近い小アジヤに拡大していき、伝道の働きのリーダーシップがパウロに移っていく箇所であります。異邦人のために伝道をスタートしたパウロでありましたが、安息日には同胞のいるユダヤ人の会堂へ行き福音を証しして行くのであります。

使徒の働き13章13-25節

㉓神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。㉔この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。

ポイント

1つ目のポイントは「神様がいつも一緒にいてくれて守ってくれることを信じていこう」ということと、もうひとつのポイントは「神様が私たちの願いを聞いてくださることを感謝しよう」ということを思いながらみ言葉を見ていきたいと思います。

解説

バルナバの生まれ故郷であったキプロスにおいて伝道の働きをしてパウロ一行は、パポスの港から出発し、パンフリヤのペルガにたどり着くのでありました。この町はアルテミスの神殿や大きな劇場や競技場のあるギリシヤの都市であったようであります。これからさらなる宣教の働きを広めていこうとしていたところ、バルナバのいとこであるヨハネ・マルコは彼らから離れエルサレムへと帰ってしまうのでありました。

そしていつものように祈りが献げられ、律法の書や預言者の書などが朗読されると、事前に打ち合わせをしていたかも知れませんが、会堂の管理者たちはエルサレムからやってきたパウロたちに向かって「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」と語りかけるのでありました。

パウロは、このところで思いがけず、安息日の会堂で福音を証しする機会を得ることになったのであります。パウロが立ち上がると会堂の中でざわめきが起こると、パウロは手を振って会衆を静め語り出すのでありました。16節から25節までお読みします。

「⑯そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。⑰この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。

異邦人の伝道のために出かけて行ったパウロ一行でありましたが、やはり最初に伝道は同胞の民であるユダヤ人の救いを願って会堂に出かけて行き福音を語るのでありました。

パウロはまず彼らがよく知っている話し、理解できる話しとするために、イスラエルの神が我々の父祖たちを選んだということ、イスラエルの民をエジプトの地から救い出してくださったこと、荒野を旅して約束の地へとみちびいてくださったこと、ダビデを選ばれて神さまのご計画を成就してくださったことなどを語り、イスラエルの民が導かれてきたことを語るのでありました。

22節の後半に、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』とありますようにイスラエルの歴史は、神さまのみこころの証なのだと語るのでありました。

パウロのメッセージは私たちの父祖であるダビデの子孫から救い主であるイエスが送られたのだと語り、その前には悔い改めのバプテスマを語ったヨハネの存在があったのだと語りました。これらのパウロが語ったイスラエルの民の導かれた歴史についてはよく知っていたけど、救い主イエスのこと、悔い改めのバプテスマを説いたヨハネのことはつい最近のことではないか、その話しのことは少し聞いたことがあるぞ、と思った人々が会衆の中にいたかも知れません。

もしかするとエルサレムで起こった迫害から逃れてきた人もいたかも知れませんが、パウロが順序立ててこまかく話ししてきたことを聞いて神さまのご計画に心打たれた人物もいたのではないかと思います。パウロの説教はこの後も続いていきますので今日は途中ではありますがここまでとしたいと思いますが、神さまのご計画は神さまのイスラエルの民に対する愛によって実行されてきたのであります。

いまこのところに集っている私たちは、イスラエルの民族の血を受け継いでいるユダヤ人ではないかも知れませんが、神を恐れかしこむ者たちであるのではないかと思います。天地万物を造られ全てを治めておられる主なる神さまを信じ慕い求めているのではないかと思います。私たちもそのような思いでいるのならば、いまを生きる私たちも神さまのご計画の中に入れられて救いの恵みの中を歩んでいくことが出来るのであります。

ヨハネの手紙第一には神さまを愛して命令を守るなら神さまの子どもとさせていただけると約束されているのであります。神さまの子どもとさせていただき、神さまを愛して命令を守るのならば、本当の意味で世に勝つ者となれるのであります。この意味の背後には、イエスさまが十字架において全てのことに勝利してくださったことにより、私たちも勝利者となることが出来るのであります。

適応

今日このとき、もう一度、まことの神さまの存在を思い巡らして、これまでの歴史を治めてこられた神さまを、私たちの歩みを導いてこられた神さまをさらに信じていこうではありませんか。またこれからもずっと私たちのことを愛し助け守ってくださる神さまを恐れかしこみ期待していこうではありませんか。いまも生きていつも一緒にいてくださる神さまが私の神さまであることを感謝して歩んでいきたいと思います。