導入
今日の箇所は、パウロの証しの続きの箇所で、安息日に同胞のユダヤ人にメッセージを語った後半部分から、旧約聖書に預言されていた救い主がイエス・キリストの生涯を通して現実となったのだということ、イエス・キリストを信じることによって罪赦され義と認められることを語るのでありました。
ポイント
1つ目のポイントは「イエスさまこそが救い主であることを信じていこう」ということと、もうひとつのポイントは「私たちの罪がイエスさまの十字架によって赦されることを感謝しよう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。
解説
パウロがユダヤ人の救いを願って会堂で福音を語ったとき、パウロはまず彼らがよく知っている話し、理解できる話しとして、イスラエルの神が我々の父祖たちを選んだということ、イスラエルの民をエジプトの地から救い出してくださったということ、荒野を旅して約束の地へとみちびいてくださったということ、ダビデを選ばれて神さまのご計画を成就してくださったということなどを語り、イスラエルの民が父なる神さまによって導かれてきたことを語りました。
これに続いて、アブラハムの子孫の方々、神を恐れかしこむ方々よとさらに語り続け、あなたたちも少し前にエルサレムで起こった出来事、ナザレのイエスが十字架にかけられて殺されたことを知っているかもしれないが、エルサレムに住む人々とその指導者たちは、イエスが神によって選ばれた救い主であるということを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解しなかったために、死罪に当たる罪は何もなかったのに、ピラトに強要してイエスを罪に定めて殺してしまい、預言者たちが語ってきたことを成就させてしまったのである。
しかし、神はイエスを死んだままにすることはなく、すべての罪に勝利し、悪しき者の力に勝利したことをあらわすために、よみがえられたイエスは弟子たちと再会して、聖書に記されていたことを成就したこと、神の民への約束は完全・完璧であることを証明してくださったのであり、復活の主と出会った我々をはじめキリストの弟子たちこそが、イエスがキリストであることを知らせる証人なのだと語り、だからあなたたちにこれだけは知ってもらいたいと語り続けるのでありました。続いて32節から37節。
「私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。」
パウロはさらに語り続けました。これまであなたたちの父祖たち、イスラエルの民に対してなされた約束は、このイエス・キリストの十字架と復活によって、旧約聖書に記されていた一つひとつの預言、詩篇の2篇をはじめ様々な預言が成就して、救いの御業が完成したのでありました。このような神の民への約束、良い知らせ、福音が、朽ちはてることのない、消えて無くなってしまうことのない救いの恵みとしていまの我々の前に置かれているのですと語りたかったのでありました。
33節の詩篇2篇7節に注目してみますと、父なる神さまがイエスを死からよみがえらせたことによって、新しいいのちとされて生まれ変わったのだということであり、アブラハムの子孫であるイスラエルの民もイエスをキリストとして、油注がれた者として、救い主として信じる者には朽ちはてることのない永遠のいのちが与えられると語ったのではないかと思われます。
パウロは何としてでも、十字架にかかられたイエスの存在を認めてほしい、旧約聖書に記されている預言や約束が成就されたのだと信じてほしいと語るのでありました。続いて38節から41節です。
「ですから、兄弟たち、あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。?ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』」
いよいよパウロの説教、メッセージも終盤にさしかかります。十字架にかかられたイエスこそが罪を赦してくださるお方であり、よい知らせ、福音であると語り、モーセの律法において完成されなかったことである罪から完全に解放されること、罪赦され義と認められるということがイエス・キリストによって完成されたのである。もしこの救いを受け入れないのならば、イエスがキリストであると信じないのならば、41節にあること、ハバクク書1章5節の預言を成就させてしまうことになるのだから気をつけなければならないと語るのでありました。
適応
イエスさまが十字架を信じ救いの恵みに預かるようにと、パウロはいろいろなところで語り続けていったのでありました。聖書に記されていることを信じて歩んでいけますように、イエスさまの十字架を見上げて歩んで行きたいと思います。また聖霊なる神さまの助けをいただいて、神さまの子どもとして歩んでいけますように、主の御手の中で過ごしていきたいと思います。