導入
今日の箇所は、パウロとバルナバがルステラで行った出来事、歩くことの出来なかった人が信仰によって立ちあがる箇所であります。神さまの奇跡の御業を通して多くの人たちが立ち返ってイエスさまの救いを受け入れるかと思われたのですが、パウロとバルナバの思いに反し、多くの人々がパウロたちのことを神々のように祭ろうとするのでありました。
ポイント
1つ目のポイントは「本当の神さまだけに礼拝をおささげしていこう」ということと、もうひとつのポイントは「神さまからの本物の喜びを受け取っていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。それではもう一度8節から10節をお読みします。
解説
いまお読みしました8節からの箇所はルステラで起こった出来事について記されています。パウロがイエス・キリストの福音を語っていると、生まれてから一度も歩いたことのない人が座っていることに気がつきました。
彼はパウロの話を聞くために座っていました。彼がいつもいた広場のようなところにパウロが来て話をしたのか、それともパウロの話を聞くために誰かに連れていってもらっていたのか、どちらかはわかりませんが、歩くことの出来なかった男性はパウロが語る希望のメッセージを真剣に聞いていたのでありました。
その男性の真剣な姿を見たパウロは、この人にはいやされる信仰があると感じ、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と大声で叫ぶのでありました。すると彼は信仰によって決心をして一歩を踏み出すと足首に力が入り歩き出すのでありました。
主の素晴らしい御業があらわされ、歩けなかった男性が飛び跳ねて歩き回っている姿を見た人々は、パウロが思ってもみなかった行動に出るのでありました。
彼らはバルナバのことを年上で威厳のあるところから全能者であるゼウスとあてはめ、パウロのことをおもに話す人であるところから神々の使者であり旅人の守護神でもあるヘルメスとあてはめるのでありました。
ルステラの地方にはゼウスの神殿らしきものが実際に見つかっているようなのですが、彼らはこの地域に言い伝えられている神々が再び訪れてくださったのだと思い、ゼウス神殿の祭司は雄牛数頭と花飾りを携えて、パウロとバルナバのところに出かけて行くのでありました。
パウロとバルナバはいま目の前で、町全体で何が起こっているのか、この騒ぎは何なのかと理解できなかったので、現地の言葉のできる人から、いま起こっている騒ぎのことを教えてもらうと、なんと自分たちのためにいけにえをささげようとしていることを知るのでありました。
このことを知ったパウロとバルナバは、衣を裂いて抗議をするのでありました。衣を裂くということについて、イエスさまが十字架にかけられる前の裁判の時にユダヤ人たちのリーダーがイエスさまの発言に対して怒り衣を裂いたとあります。パウロとバルナバは群衆の中に入り人を神とみなす冒涜的な行為をしてはならない、神に対して罪を犯してはならないという気持ちで衣を裂いて抗議をしたのでありました。
今日のこの箇所で注目したいところは、9節の所です。パウロはイエスさまが病の人をいやした場面に一緒にはいませんでしたが、使徒の働きの3章にあります美しの門で歩けなかった人をいやしたペテロとヨハネのように、パウロもまた同じように歩けなかった人をいやすのでありました。イエスさまがこの地での働きをされていたとき、イエスさまのところに中風の人を床に寝かせたまま連れてきた人々がいました。
イエスさまがこの地に来てくださり、奇蹟の御業を行ってくださって、死んでいたのと同じ状態の者に生きる力と勇気と希望、そしていのちを与えてくださったのであります。
適応
イエスさまはいまを生きる私たちにもあわれみをかけてくださり、救いの御手を差しのべてくださり、霊的によみがえらせてくださり、私たちの目を開け、耳を開け、足には力を与えて立ち上がらせてくださり、主は素晴らしいと喜びの讃美を与えてくださるのであります。
今日このとき、聖書に記されている神さまがいまも一緒にいてくださるのだと信じて、感謝して歩む者へと変えていただこうではありませんか。パウロとバルナバがどんなことがあっても神の国と神の義を第一としていったように、私たちも神の国と神の義を一番に考えて歩めるようにさせていただこうではありませんか。