豊かな実を結ぶ

導入

今日は6月の第一聖日、第一日曜日ですので、2020年の年間聖句(ヨハネの福音書4章36節)として導かれましたみことばと関係する箇所からみことばを見ていきたいと思います。

今年はヨハネの福音書4章36節から、永遠のいのちが与えられ、イエスさまの十字架によって救われていることを喜んで生活していけるように、またその喜びを多くの人と分かち合うことができるように。私たちも福音の種を蒔いて、多くの実を刈り取っていけるように、教会に与えられているビジョンを見上げながら歩んでいきたいと願わされております。

お開きします箇所は、イエスさまがぶどうの木を用いて豊かな実を結ぶための秘訣を語られた箇所であります。

ヨハネの福音書15章1-5節
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

ポイント

1つ目は「イエスさまの木にしっかりとつながっていこう」ということと、もうひとつは「イエスさまから栄養をいただいてステキな実を結ぼう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

イエスさまがいよいよ十字架にかけられようとしていたころ、これから起こる最後の戦いに出て行く前に、イエスさまは弟子たちを集めて最後の晩餐の食事、過越の食事をしたあと、近くにあったぶどうの木を見ながらたとえ話しをされました。

イエスさまは農夫であるわたしの父が、実を結ばないものはみな取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために刈り込みをなさると語られるのでありました。

このところで2種類の枝が登場しています。1つ目の枝は、実を結ばない枝で、自分たちこそ神の民であると主張するのであるが、実際にはイエスさまのぶどうの木にはつながっておらず、実を結ぶことが出来ないで切り取られてしまう。2つ目の枝は、豊かな実を結ぶ枝で、まことの神の民として救い主の教えに謙遜になって従う、イエスさまのぶどうの木にしっかりとつながって、実を結ぶために刈り込みがなされて甘くて綺麗でおいしい実を実らせることが出来る。2種類の枝があるというのであります。

ぶどうの木につながる枝は枝だけでは存在することが出来ず、幹から離れてしまうならば生きることが出来ない、水分や栄養を受け取ることが出来ない、いのちのない状態なのであります。当たり前のことであるのですが豊かな実を結ぶためには、ぶどうの木の幹から離れないでつなぎ合わされて水分と栄養を受け取ることなのであります。

そのためにも必要なことは不必要な枝を農夫によって刈り込んでいただいて、きよめていただく必要がある。イエスさまの教えをしっかりと聞いて、忠実に守り行っていく、従順に歩んでいくのならば、きよい存在となり豊かな実を結ぶことが出来るのであります。

私たちがイエスさまにつながり、イエスさまこそが神の御子であることを信じる。イエスさまこそが救い主であると受け入れ、父なる神さまが言われることを行う。この地で生かされている限り福音を信じ続け、キリストのからだである教会につながり、また兄弟姉妹とも愛によってつながりを持つことが大切なのであります。

そして私たちが最高であり、最善であり、パーフェクトな人生を生きるために、もっとも重要な唯一の方法は、イエスさまのぶどうの木につながる枝として、イエスさまの木に接ぎ木されて、イエスさまから送り込まれる栄養といのちを漏らすことなくいただくことなのであります。

私たちが神さまの造られた日の光と雨から来る水分を受けて素晴らしい実を結ぶのならば、たとえそれが小さくてあまり目立たない実であったとしても、農夫である父なる神さまが栄光を受けられ尊ばれるのであります。

適応

私たちの歩みがしっかりとイエスさまにつながって、おいしくて甘くてステキな実を結んでいけるように、もう一度、自分自身の歩みを振り返りながら、刈り込みが必要なところ、きよめられる必要があるところがあるのならば、父なる神さまの御前に差し出して取り除いていただいて新しい実を結ぶことが出来るようにさせていただきたいと思います。

そして、私たちがこの地にあって多くの人に影響を与えることが出来るように、充実したクリスチャンライフを送っていけるように、神さまの子どもとして、イエスさまの弟子として歩んでいきたいと思います。