イエス・キリストが神なのか聖書を調べる

導入

今日の箇所は、ピリピでの伝道、テサロニケでの伝道を行ったパウロとシラスは、次の宣教地にベレアを選び、伝道旅行を続けて行きます。彼らはこの地においてもユダヤ人の会堂へと出かけていき、福音を伝えて行くのでありました。

使徒の働き17章10-15節

この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「毎日聖書のみことばを読んで神さまと交わる時間を持とう」ということと、もうひとつのポイントは「いつでもどこでもどんな時でもイエスさまと一緒に過ごしていこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

パウロとシラスはテサロニケにおいて、ユダヤ人たちからねたまれて捕まりそうになり、誰にも見つからないようにと夜のうちに出発して次の宣教地であるベレアへと出かけていくのでありました。ベレアはテサロニケから西へ約70キロメートルのところにあり、もしかすると彼らはあまり遠くへ行かないでテサロニケに戻ることも考えていたかもしれません。

マケドニアの首都であり商業や貿易の中心地であったテサロニケにおいて宣教の働きが拡大していくならきっとこの地域にイエス・キリストの福音が広まっていくだろうと願っていたのではないかと思います。

そんな中、ベレアにおいて福音を伝えるため、いつものようにパウロたちはユダヤ人たちのいる会堂へと出かけて行き、旧約聖書に預言されている救い主について説明し、イエス・キリストの苦難と死、そして死からのよみがえりによって救いの御業が完成したことを語るのでありました。

これを聞いたベレアのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人たちと違い、素直に彼らの話を聞き、非常に熱心にみことばを受け入れ、そればかりではなく、彼らが話していることが本当なのかどうか、神が語る真理のことばなのかと自分たちで聖書を調べて吟味して研究をするのでありました。

ベレアのユダヤ人たちは聖書のことばを毎日調べた結果、パウロの語っていたことが本当であったと理解し、多くの人々が主を信じて信仰の告白をするのでありました。

テサロニケのユダヤ人たちはパウロをねたみ「おまえは生意気だ!」と訴えるのでありましたが、パウロが何も悪いことをしていなかったので捕まえることが出来なかったので、ベレアの地においても同じように群衆を扇動して騒ぎを起こし、パウロたちの働きをやめさせようとするのでありました。

パウロはこれまでにうまくいっては邪魔される、迫害される、働きをストップさせられることを何度も経験しているうちに、以前の自分のしていたこと、イエス・キリストを信じる者を見つけ出して迫害して、牢に入れて、懲らしめていたことを思い出しては悔い改めていたのではないかと思います。

ベレアにおいて信仰を持った兄弟たちは、テサロニケのユダヤ人たちの暴動を見て、妬みの原因がパウロにあると思い、シラスとテモテを残してパウロだけを海岸に送りアテネへと連れて行くのでありました。

何とか難を逃れることの出来たパウロは、シラスとテモテもこちらへ向かわせるようにお願いしてベレアの兄弟たちと別れるのでありました。

適応

いまを生きる私たちも聖書のみことばを通して、主を信じる信仰が与えられて、永遠のいのちをいただくことが出来ました。

私たちがこの地上で生かされていく限り、いろいろなことがあると思います。辛いことや苦しいことも楽しいこともうれしいこともいろいろあると思いますが、イエスさまと共に歩んでいくのならば、この地上では得ることの出来ない恵みと祝福もいただくことが出来るのであります。

これからの日々もイエスさまから離れないで、聖書のみことばをしっかりとにぎって、神さまからくる平安と喜びの中で過ごしていきたいと思います。そして、主を信じる信仰をさらに増し加えていただけるように、主との個人的な交わりをさらに深めていきたいと思います。