私も誰かに愛されたい!

導入

今日のメッセージのタイトルは「私も誰かに愛されたい!」といたしました。インターネットで愛されたいと検索しましたら「愛されたい症候群」という物があると出てきました。

まさに私たちクリスチャンも愛されたい症候群の気持ちになって、神さまによって愛されていることをさらに深く実感して歩んでいけるようにさせていただきたいと思います。

今年もいよいよ9月になりました。毎月第一日曜日は年間聖句の日としまして、2020年の年間聖句として導かれましたみことばと関係する箇所からみことばを見ていきたいと思います。

ヨハネの手紙第一4章13-16節

私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「神さまの愛をしっかりと受け取って歩んでいこう」ということと、もうひとつのポイントは「イエスさまの十字架によって罪が赦されたことを感謝しよう」ということについてみことばを見ていきたいと思います。

解説

このところで神を知るためには、互いに愛し合うことが大切であると記されています。人が神を愛するということよりも、人が神の御声に従うということよりも、まず神さまが我々一人ひとりのことを愛してくださったというのであります。

聖書を読んでいく時に気づかされることは、神が愛であるということ、神が愛に満ちあふれた存在であるということ、そして、私たちのことを愛してくださるということが記されているのであります。

聖書の中でもっとも重要な「愛」ということは「アガペー」の愛、無条件の愛、神が私たちに与える愛、見返りを求めない愛であります。

イエスさまがこの地上におられた時、隣の人を愛するということ、互いに愛し合うということを実践してくださり、この「愛」の見本を見せてくれた、お手本となってくれたのであります。

全知全能なる神さまは神のひとり子であるイエスさまを全ての人の過去、現在、未来の罪のつぐないをするため、身代わりとなるため、なだめの供え物となるためにこの地上に遣わされたのであります。

人は罪の性質を持ったままでは生きることが出来ない、父なる神さまと交わることが出来ないので、イエス・キリストの十字架の犠牲によって、イエス・キリストの身代わりによって、いのちを与えてくださる、生きるようにさせてくださる、父なる神さまとの交わりを回復してくださるのであります。

私たちが、イエス・キリストの十字架をとおして、神の救いを受けるのならば、イエス・キリストこそが救い主であると告白するのならば、さらに大きな神の愛を知ることが出来るのであります。

神さまの愛の中で歩むときに大切なことは私たちのうちに住んでくださる御霊によって歩むことが大切なのであります。イエスさまが十字架で死なれよみがえり、天に昇られた後、助け主である聖霊を送ると約束してくださいました。その聖霊なる神が私たちのうちにとどまってくださることにより神の愛をさらに深く知ることが出来るのであります。

この手紙を書いたヨハネはそのことをよく知っていて体験していたので、このことを証することが出来る、証言することが出来ると語ったのであります。そして、この神の愛を知り、受け取り、神と共に歩みたいのならば、イエス・キリストが神の御子であり、救い主であると信じ告白することによって体験することが出来るというのであります。

適応

聖書に記されている神さまは、大きな、大きな犠牲を払ってくださり、我々人間を救おうとしてくださいました。そんな神が私たちに要求されていることは、さらに大きな犠牲を払いなさいということではなく、わたしを信じなさいということただ一つであるのです。

地位や名誉、お金や時間、そんなものは一切必要が無く、ただイエス・キリストが神であり、救い主であるということを信じ告白するだけなのであります。

これからの日々、聖書に記されている神を信じ、このお方といつも一緒に生活していこうではありませんか。そして、このお方の愛をたくさん受けて、互いに愛し合って歩んで行こうではありませんか。

我々の生涯を導いて、いのちを与えてくださる、生きるようにしてくださる主なる神さまは、目には見えませんが、いつもともにいてくださいます。さらに主を求めて歩んでまいりましょう。