真実は必ず勝つ

導入

  今日の箇所は、神のことばを語り続けていたパウロが、妬みと嫉妬に燃えていたユダヤ人たちによって捕らえられて、法廷へと引っ張られていってしまう箇所であります。パウロが心配していたとおりに出来事が起こってしまうのでありましたが、神さまの不思議な御業があらわされるのでありました。

使徒の働き18章12-17節
パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人の諸君。不正な行為や悪質な犯罪のことであれば、私は当然あなたがたの訴えを取り上げるが、
ことばや名称やあなたがたの律法に関する問題であれば、自分たちで解決するがよい。私はそのようなことの裁判官になりたくはない。」

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「いつも神さまから知恵をいただいて問題を乗り越えていこう」ということと、もうひとつのポイントは「どんなことがあっても神さまから離れないで生活していこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

パウロはこのところで訴えられてしまうのでありましたが、主が幻によって語ってくださり、約束された通り、パウロは肉体の傷を受けるような、命を狙われることはなく、法に関する理解の違いによって訴えられたのでありました。

ここで使われていることばである「律法」ということばですが、これをユダヤ人の律法と解釈するのならば、ローマの総督がユダヤ人の民族的な法について裁くことが出来るのか、またローマの法に関することならば、ユダヤ人の宗教をローマ市民へと強要させたと訴えたのか、この短い1節からいろいろなことが考えられるのですが、どちらにせよ総督のガリオにとっては興味のないこと、問題とならないことでありました。

パウロがユダヤ人たちに訴えられていてことに対して弁明をしようとしたところ、それをさえぎるかのようにしてガリオはユダヤ人に向かって言いました。

「不正事件や悪質な犯罪のことであれば訴えを取り上げる。しかし、ことばや名称や律法に関することなら自分たちで始末をつけなさい。」

「パウロだかなんだか知らないけれど、ローマの国家に関係する犯罪でもないし、誰かが傷つけられた傷害事件でもない、宗教の内部論争には興味がないから自分たちで何とかしなさい。」とガリオは答えるのでありました。

パウロはこの言葉を聞いて小さくガッツポーズをしたのではないかとその場面が目に浮かんできます。それもそのはず、このガリオの発言によって、パウロとキリスト教の立場が容認されたといっても良い、パウロのやっていることには不正がなく悪質なこともないと証明されたことになったのであります。まさに神さまの摂理の中で不思議な御業が行われ、この地域での伝道の働きが拡大していくことになるのでありました。

パウロは次々とやってくる苦しみと試練に耐えながら、神さまだけを信じて歩んでいきました。命の危険を覚えたり、理不尽な訴えを受けたり、邪魔が入って思うように伝道が出来なくてもただただ主だけを信じて歩んでいました。

私たちも日々の生活において主を信じる信仰をいただいて苦しいことや辛いことがあったとしても乗り越えていけるように勝利していくことが出来るようにさせていただきたいと思います。

適応

辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、主を信じて賛美をするのならば、私たちを励まし助けを与えてくれるのであります。
その他にもお祈りをする、聖書を読む、感謝をするなどなど、絶えず神さまに近づいていくのならば、主もまた近づいてくださって、何にも変えることの出来ない平安を与えてくださるのであります。私たちの日々の歩みにおいていろいろなことがあると思いますが、主との個人的な関係をしっかりと結んでいき、主から離れないで歩んでいきたいと思います。そして私たちの日々の歩みにおいても神さまの栄光をあらわしていけるように主の御手の中で歩んでいきたいと思います。