導入
今日の箇所は、エペソで起こった騒乱について、パウロたちはイエス・キリストの福音を伝えたことによって、信じる者たち、救われる者たちがあらわれるようになり、アルテミス神殿にて働いている人たちからクレームを付けられるのでありました。
ポイント
今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「本当の神さまだけを礼拝して過ごしていこう」ということと、もうひとつのポイントは「いつも神さまのことを第一に考えて歩んでいこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。
解説
御霊によって導きを受けてパウロは「ローマにも行かなくては!」と新たなる宣教の地を思い描くのでありました。これまでパウロの宣教してきた地は、多かれ少なかれローマ帝国の影響を受けていた場所であり、ローマ帝国の首都であるローマに行ってイエス・キリストに勝ち取らなくてはならないと、福音による勝利を収めなくてはならないと大きな目標と夢を描くのでありました。
パウロのアジアでの働きは、ローマのために自分の役割を果たしたいという願望がイエスさまと出会ったことによって変えられて、イエス・キリストのために自分の役割を果たしたいという願望に代わり、福音をたずさえて出かけて行くことに変わったのでありました。
エペソの人々にとってなくてはならない有名なアルテミス神殿には、農作物が豊かに実るようにとアルテミスの女神が祭られていました。この神殿にはいつも多くの人々が参拝に訪れ観光名所となり、訪問者は女神の像や礼拝堂の銀で出来た小さな模型を記念に購入し、お守りとして用いられていたようであります。
これらの品々を作成するデメテリオという銀細工人や多くの職人たちが集まり、パウロの話していること「手で造った物は神ではない」ということに対して腹を立て、私たちが繁盛しているのは、生活していけるのはアルテミスさまのおかげなのだと声を上げ、全アジア、全世界が拝まれているこの女神さまこそがあがめられるべきだと語るのでありました。
これらの声が大きくなると、だんだんと騒ぎも大きくなり、そこに集まった人たちが怒り出して叫びはじめると「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と言って、さらに多くの人々、町中の人々を洪水のように巻き込んでいき、パウロやパウロと一緒にいる者たちを捕まえようとするのでありました。
群集の心理は本当に恐ろしいものでイエスさまの十字架を思い浮かべるのでありますが、彼らが劇場へと流れ込んでいくとパウロたちを獣と戦わせる見世物やショーの餌食にさせようと企むのでありました。
パウロはきっとイエスさまのことが証しされて救われる者が起こされるのならばここで死んでも良いと思っていたかも知れませんが、一緒にいた同労者たちはそれを望まず、また多くの人たちからストップがかかり、騒ぎもだんだんと収まっていくかと思っていると群衆の中にいたユダヤ人たちがアレクサンドロに話をするように促すのでありました。
ユダヤ人たちはこの騒ぎに便乗し、偶像崇拝に反対しようとした、我々はキリスト教徒ではないと主張しようとしたのではないかと思われますが、タイミングが良くなかった、いまでいうなら空気が読めなかったのであり、火に油を注いでしまったかのように、エペソの人々は彼がユダヤ人だと分かると「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」とみな一斉に叫び声をあげて、さらなる騒ぎが二時間ほど続くのでありました。
騒ぎを静めて群衆を解散させた町の書記官、彼はエペソの町の人々によって選ばれた大きな権限を持つ役人であります。
劇場で起こった騒ぎに対して、エペソに住んでいる人なら誰でも知っているアルテミスの女神様は天から下ってこられたのである、もしかすると天からふってきた石、隕石であったのではないかとも言われていますが、パウロとやらはアルテミス様を冒涜したわけでもなく、神殿で禁じられていることをしたわけでもない。ならばこれ以上、騒ぎを大きくするのなら秩序をもって正式に訴えなさい。そうでなければ、今度はあなたたちが訴えられてしまうのだからと語るのでありました。これによって騒ぎは静まり、群衆は解散されて、パウロたちが守られるのでありました。
適応
私たちのこれからの生活がどのようになるかは私たちの選択と決断にかかっています。私たちが自分の喜ぶことを大切にして歩んでいく、それはそれで大切なことでもありますが、神さまの喜ばれることは何か、神さまの願っておられることは何か、神の国を第一として歩んでいくのならば、この上もない喜びと平安が与えられるのであります。
時にはその選択と決断は、マイナスに思えるようなことであるかも知れませんが、「損して得取れ」ではありませんけれども、主なる神さまを第一として歩んでいくのならば必ず祝福が用意されているのであります。
神さまにせめられることのないように、神さまの御前に正直になって歩めるように、聖霊なる神さまに助けてもらって過ごしていきたいと思います。神さまの御業が私たちを通してあらわされるように、神さまの臨在を持ち運んで歩むことが出来るようにさせていただきたいと思います。