導入
今日おひらきしますみことばは、イエスさまの誕生に関わる箇所、イエスさまの母マリアに御使いが現れる箇所を通してみことばを見ていきたいと思います。今日の箇所は、マリアがイエスを身ごもるという告知を受ける箇所であり、神さまの大きな恵みを受けたマリアについて記されています。
ポイント
今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「イエスさまがこの地に来てくださったことを感謝しよう」ということと、もうひとつのポイントは「いつも神さまの恵みを受け取って生活していこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。
解説
マリアはヨセフといういいなずけが、婚約相手がいましたが、まだ結婚をしていなかったので、なぜ私が男の子を産むのかとビックリし戸惑いを覚えたのでありました。もちろん、彼女は律法の教えに厳格でありましたので、結婚した二人にしか許されていない男女の関係、夫婦関係はもっていなかったこともあり、このあり得ない御告げにとても驚いたのでありました。
このことはとてもうれしいこと、喜ばしいことであるのですが、もし他の人々にこのことがわかり、結婚前の不適切な行為による妊娠と知れたのなら、社会的・律法的な制裁を受けなくてはならないと思ったのではないかと思います。
しかしそんな恐れと反対に、生まれてくる子は「大いなる者」、「いと高き方の子」、「神である主」、「ダビデの王位が永遠に与えられる」と呼ばれ、またその名を「イエス」、訳せば「主は救いである」という意味の名を付けよと言われるのを聞いて、恐れることより喜びと感謝でいっぱいになるのでありました。
マリアは、メシヤの誕生がダビデの王座の継承者であり、ダビデの血筋をひいている者でなければならないということを知っており、また自分自身、ダビデの家系に属していることを知っていたのですが、結婚もしていない私から子どもが生まれるなんて「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。」と御使いに答えたのでありました。
御使いによって語られたメシヤ、イエス・キリストの誕生の予告、このお方の受胎は「聖霊」の臨在と「いと高き方」なる主なる神さまの力、超自然的な創造的御業によるというのでありました。これは人間の考えや力を超えて行われる全能なる神さまのお働きによるのであります。
37節のところには、新改訳に訳されていないのですが、「神の霊」とか、「神のことば」と訳される単語があり、その単語を補うと「神の霊、神のことばには何一つ不可能なことはないのだから」と訳すことができます。
創世記に記されているように、主のことばによって無から有を、天地万物を造られたお方、全能の力を持っておられるお方には何一つとして不可能なことはないのであります。
この御使いの御告げに対してマリアは「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と応答しました。
マリアは、はじめ戸惑いと驚きを覚えたのですが、御使いをとおして示された神さまのご計画を受け入れ、主なる神さまが最善をなしてくださることを信じたのであります。
全能なる神さまは、そのしもべたちに最善と最高を行ってくださり、ご自身の意志に基づいて間違うことなく、失敗することなく行ってくださるのである、マリアはこのお方が素晴らしいご計画を現実のものとしてくださることを信じ、それを受けとめ、信仰をもって、一歩を踏み出したのでありました。
適応
今日のこの箇所で考えさせられることは、マリアが新しいいのちを授かった時に、老齢になって子を宿していたエリサベツの存在があったということであります。マリアにとってエリサベツの存在は大きな安心となり、彼女のところで滞在した日々は互いの励ましとなり、主なる神さまへの信仰を堅くする大切なときになったのでありました。
この現代に生かされている私たちクリスチャンも、主にあって互いに祈りあったり、励ましあったりすることのできる友が必要であり、兄弟姉妹との交わりを通して信仰を高めあっていくことが大切なのであります。
この地上にあって辛いこと、苦しいことがたくさんありますけれども、主なる神さまを信じる仲間がいることによって、私たちの信仰が守られ、築き上げられ、堅くされて、様々な試練を乗り越えていくことが出来るのであります。
私たちがこの地上の生涯において、クリスチャンとしての歩みを守っていくためには、クリスチャン同士の交わりと祈り、励ましが大切なのであります。私たちのクリスチャンライフにおいて信仰の友が与えられていることは、何にも変えることが出来ない宝であります。
マリアは、神さまの御前にへりくだって、謙遜になって、救い主を身ごもるということを感謝しました。マリアの信仰をとおして、イエス・キリストが、救い主なるお方がこの地に来られることになりました。
全ての人を救うまことの光がこの地に来てくださったことを感謝して、一人でも多くの人にこのうれしいニュースをお伝えすることが出来るように、今年のクリスマスも主と共に過ごしていきたいと思います。