自由が与えられる

導入

総督フェリクスの前で弁明したパウロでありましたが、裁判の延長がなされて、監禁されることになってしまったのであります。神さまによって与えられたチャンスと思ったのですが、神さまのよしとされる時を待ちつつ、フェリクスとの時間を過ごすことになったのでありました。

使徒の働き24章22-27節
フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」と言って、裁判を延期した。
そして百人隊長に、パウロを監禁するように、しかし、ある程度の自由を与え、仲間の者たちが彼の世話をするのを妨げないように、と命じた。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「毎日神さまに助けてもらって生活していこう」ということと、もうひとつのポイントは「神さまからの本当の自由をいただいて歩んでいこう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

フェリクスがなぜナザレのイエスのことについて、イエス・キリストの福音について知っていたのかはわからないのでありますが、この裁判を急いで終わらせていけないと思ったのかもしれません。フェリクスはパウロを監禁するように命じるのでありましたが、厳重な監禁という形ではなく、兵士に監視させてある程度の自由を与え、パウロの仲間がお世話を出来るように、食べ物や生活に困らないように配慮をさせるのでありました。

総督フェリクスは愛のあるお方だ、優しいお方だと思えたのですが、実はそんなことなくパウロから金を巻き上げよう、ユダヤ人たちのご機嫌を取ろうとたくらんでいたのであります。

パウロの裁判の延期が決まって数日が過ぎた頃、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラと一緒にパウロからキリスト・イエスへの信仰について話を聞くことにしました。フェリクスがこの道についてかなり詳しく知っていたということは、妻ドルシラの影響があったのかも知れません。

これまでにいろいろなことを聞かされて見てきたドルシラは、キリスト・イエスに対する信仰を純粋に求めていたのか、それとも興味本位であったのかはわかりませんが、パウロからイエス・キリストについて話しを聞くのでありました。

思いがけず福音を証しする機会が与えられたパウロは、ドルシラの家族のことも知っていたようで、正義とは何か、節制とは何か、やがて来るさばきについて語り、彼らに警告を与えるのでありました。

これらの話しを聞いたフェリクスとドルシラは、これまで自分たちのしてきたこと、自分たちの周りにいた人たちがしてきたことを思い返し、自分たちはきっと裁かれる、神によって滅ぼされると思い、恐くなってしまい、「もう帰ってよい」とパウロにいうのでありました。

しかし、フェリクスはパウロを度々呼び出して、イエス・キリストのことについて語り合うのでありましたが、きっとパウロはここから早く出してほしいというだろう、もしそんなことを言ってきたらたっぷりと賄賂をとってやろうと考えたのでありました。しかし、パウロはそのような悪巧みにはのらず、2年間、監禁されたままカイサリアで過ごすのでありました。

この後、フェリクスがユダ人とのトラブルを起こしたようで、彼の後任としてポルキウス・フェストゥスが配属されることになりました。フェリクスは、総督の交代があったのにもかかわらず、ユダヤ人の機嫌を取るため、気を引くためにパウロを監禁させたままにしておくのでありました。

適応

いまの私たちの生活においても不自由に感じることがあるかも知れませんが、目に見える状況は思い通りにいかなくても、私たちは主にあって本当の自由が与えられているのであります。またその自由によって互いに愛し合い、仕え合うようにと語られているのであります。

私たちに与えられた本物の救いとは何なのか、本当の自由とは何なのかということを、もう一度、考えながら、自粛生活の中で、みことばを味わい、神さまとの時間を持ち、福音の恵みに感謝していきたいと思います。