死んでしまったイエス?!

導入

今日お開きします箇所は、フェストゥスのところにやってきたアグリッパ王にパウロの訴えについて説明がなされるのでありました。フェストゥスはパウロがカエサルに上訴したので、告訴状、報告書を書かなければならないのだけれど、罪のない人間のことについてどのように書いたらよいかわからなくなり、アグリッパ王にヒントをもらおうと思ったのでありました。

使徒の働き25章13-27節
告発者たちは立ち上がりましたが、彼について私が予測していたような犯罪についての告発理由は、何一つ申し立てませんでした。

ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「いつも賛美して、お祈りして、神さまと一緒に過ごしていこう」ということと、もうひとつのポイントは「神さまを喜び、神さまに感謝し、楽しんで礼拝しよう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

フェストゥスが新総督として就任したことを祝うために、アグリッパ2世であるアグリッパ王が、妹でもあるベルニケと共にカイサリアにやってきたのであります。アグリッパ王は総督との関係をよくするためにカイサリアへとやってきたこともあり、政治的な課題について話し合いをするのでありました。

フェストゥスはいま大きな課題であるパウロの問題についてアグリッパ王に相談すると、アグリッパ王がパウロに対して興味を示すのでありました。

フェストゥスはアグリッパ王にやっかいな問題について話し続け、これまでのやりとりについて伝えました。パウロを訴える者たちがやってきたこと、パウロを出廷させて裁判を開いたこと、告発する理由が見つからなかったこと、パウロがイエスという人物が生きていると主張したことなどを報告し、ローマの法に照らしあわせると、パウロは何も犯罪を犯していない、犯罪となる疑いすらなかった。けれども、パウロがカエサルに上訴したと伝えたのでありました。

アグリッパ王はパウロのことを聞くと直接会って話しを聞いてみたいと願ったので、フェストゥスは次の日にパウロとの面会の時間を持つことにするのでありました。

フェストゥスはこのとき、パウロが訴えられている理由、イエスという人物が死んだのだけれどもいまも生きているとは語りませんでした。このあと、パウロに弁明する機会が与えられて、イエスの十字架の出来事、イエスの身体がなくなって生き返ったことなどを語ったとき、フェストゥスはパウロの話をやめさせようとします。イエスの一連の事件がこのときまだくすぶっていた、解決されないままであったのか、この話しが大きくなったら自分の立場が危なくなると思ったのかも知れません。フェストゥスはこの面倒でやっかいな訴えが早く終わるように思っていたと思います。

パウロはこのあとどうなってしまうのか、パウロにとって腑に落ちない、理不尽な出来事が続いていったと思いますが、祈りつつ、神さまの御手の中で、導かれるまま歩むのでありました。

適応

今日のこの箇所を読んでいて、またこれまで見てきたことやこの続きを見ていくときに思わされることは、私たちのために十字架で死んでくださったイエスさまはよみがえられて、いまも生きておられるということを信じていく、感謝していく、証ししていくということが大切なのだなと思わされます。イエスさまが私たちと共にいてくださるということが、私たちの希望であり、喜びであり、恵みなのだなとつくづく思わされるのであります。

私たちも神さまの霊を受け取って、御霊と真理によって礼拝するものとさせていただきたいと思います。パウロがイエスさまこそが主であると、いまも生きていると語ったように、私たちも信仰の告白をして歩んでいきたいと思います。

十字架で死んでよみがえってくださった主がいまも生きておられること、私たちと共にいてくださること、このことを感謝して過ごしていきたいと思います。