相続をうけるために

導入

アグリッパ王と周りにいた人々がパウロとの面会の時間を持ち、パウロの弁明を聞くことになった箇所であります。パウロはチャンスがやってきたと思い、イエス・キリストの十字架と復活について語り、福音の証しをするのでありました。

使徒の働き26章1-18節
それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「いまも生きておられる神さまを伝えていこう」ということと、もうひとつのポイントは「信仰と希望と愛が与えられていることを感謝しよう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

以前見ました箇所24章で、ユダヤ人たちを取り締まる総督フェリクスの前にて、パウロが弁明をした箇所を見てきました。パウロは裁判を受ける必要がある、正しい判決を受けるべきであると語り、今度はユダヤ地方を治める王、アグリッパ王の前でイエス・キリストの福音を証しすることになったのであります。

パウロは、神が私たちの先祖たちに約束してくださったことへの希望について語るとともに、神が死者をよみがえらせるという約束を信じていることによって、裁判にかけられているのだと述べました。

この「とげの付いた棒」とはいった何かと言いますと、「とげの付いた棒」で畑を耕す牛や荷物をかついだ動物などを思うように動かすため、とげの付いた棒で操っていたようで、牛や動物がイライラして、言うことを聞かずに逆らって棒を蹴るのならば、自分で自分を傷つけてしまうことになるのであります。

パウロはイエスという人物をとげの付いた棒のような存在と認識していたので、イエスを信じる者たちを迫害することによって、自分で自分にひどい傷つけることになっていたのだ、とダマスコへ向かう道のりでの体験を語ったのでありました。

イエスさまと出会って変えられたパウロは、さまざまな時に幻で語られた言葉を凝縮し、与えられた任務の大きさをわかりやすく説明し、人々の目が開かれ、暗闇から光へと変えられるように、導くために遣わされていると語るのでありました。

今日の箇所で注目したいところは18節のみことばで「相続にあずかるため」というところに注目したいと思います。相続と聞きますと遺産を相続すること、財産を受け継ぐことなどを思い浮かべるのではないかと思います。最近、私自身考えさせられていることは、私たちはイエス・キリストの福音によって相続人とされたのだということであります。

いままでの私の理解としては、イエス・キリストの信仰を受け継いだのだ、救いの恵みに預かったのだとただ漠然とぼんやりとしたことと思っていたのですが、他の聖書の箇所を読んでいきますときに、「相続」ということばがたくさん使われていることに気がつきました。

神の国が、神の支配がこの地にあらわされたことによって、イエス・キリストの救いに預かり、神の子とさせられた私たちは、神の国を相続する者となった、神の国を証ししあらわす者となったということなのであります。

適応

私たちが神の子とさせていただいたということは、この世の物では手に入れることの出来ない、はかりしれない大きな財産であって、恵みであり、祝福であるのです。

いまを生きる私たちに神さまの約束が与えられていることを探し求めていこうではありませんか。そして朽ちて無くなってしまう物ではない、この世の物では手に入れることの出来ない、素晴らしい希望が与えられていることをしっかりと受け取っていこうではありません。

神さまからの恵みと祝福がさらに注がれるようにと主に期待してこれからも主と共に歩んでまいりたいと思います。