パウロが伝えたかったこと

導入

今日お開きします箇所は、パウロがアグリッパ王の前で弁明している箇所の続きです。パウロの弁明は釈放してほしい、無罪にしてほしいということではなく、イエス・キリストの福音、十字架の苦しみと死者の復活を証言し、多くの人を本物の自由へと導く希望のメッセージを語った箇所であります。パウロの語った福音に目を留めていきたいと思います。

使徒の働き26章19-32節
すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。

ポイント

今日もいつものようにポイントを2つあげたいと思います。1つ目のポイントは「暗いところに光を照らしてくださるイエスさまを信じていこう」ということと、もうひとつのポイントは「イエスさまが私たちを救ってくださることを感謝しよう」ということを思いながらみことばを見ていきたいと思います。

解説

パウロは主の声に従ったことにより、悔い改めて神に立ちかえる者が次々と起こされていき、ユダヤの地域から異邦人の地域に宣教の御業が拡大し、目に見える同胞の民からの迫害を受け、命の危険を感じるときもありましたが、神さまによって守られて、今このところにおいて弁明する機会、福音を証しするチャンスが与えられたと語るのでありました。

どんなことがあっても神さまがいつも助けてくれたから、神さまが味方してくれたから、パウロに対するユダヤ人のさまざまな陰謀があったけれども、彼らの計画はすべて失敗してしまった。そのことによって、私はいまここに立っているのですと力強く語ったのであります。

この23節の言葉「キリストが苦しみを受けること」について、ユダヤ人の中では、救い主であるお方が苦しみを受けるということはどういうことなのか、苦しみを受けるメシヤを信じる必要があるのかといろいろ議論があったようです。

ユダヤ人のメシヤのイメージは、どんなことがあっても強いお方、苦しむことのないお方というイメージがあったようで、そのような救い主ならば信じることが出来る、受け入れることが出来ると思っていたのかも知れません。

パウロがアグリッパ王の前で釈放してほしい、無罪にしてほしいと弁明するのではなく、イエス・キリストの福音、十字架の苦しみと死者の復活を証言し、多くの人を本物の自由へと導く希望のメッセージを語ったのでありました。

パウロのイエスさまに対する情熱、何としてでも救われてほしいという切実な思いが伝わってくるのでありました。

適応

私たちが天地万物を造られ、いまもおさめておられる神さまを信じていくのならば、この世レベルではないような、大きすぎで変わったかもわからないような、神さまの御手によって素晴らしいことが行われるのであります。

神さまから信仰をいただいて、神さまに喜ばれる歩みをしていけますように、神さまがおられることを認めて、神さまに近づいていけますように、神さまを目で見ることは出来ませんが信仰によって見ることが出来ますようにさせていただきたいと思います。

そしてこの素晴らしいお方を一人でも多くの人に証ししていくことが出来ますように、神さまの恵みを分かち合うことができるようにさせていただきたいと思います。