導入
今日の箇所は、パウロが集まってきたユダヤ人たちに対して、イエス・キリストの福音について語り、議論となることもあったのですが、神さまのご計画がなされていくのでありました。
ポイント
① どんなことがあってもみことばを握って生活していこう
② 神さまの前にへりくだりイエスさまを証ししていこう
解説
パウロは集まってきた大勢の人々に、モーセの律法と預言者たちの書からイスラエルの希望について、また救い主がこの地に来られたことについて語り、何とかしてイエスこそが神の国をこの地にあらわした救い主であることを伝えるのでありました。
パウロの話は朝から晩まで続き、イエス・キリストの福音について説明をしたのですが、思ったような成果は見られず、話しを聞いた人の中には信じる人もいたのですが、信じない人もいたというのであります。ひとりの人が救われる、イエス・キリストを信じるということは、まさに神さまの領域であると考えさせられる1節であります。
パウロはユダヤ人たちがイエス・キリストの福音に同意せず、議論がなされ、結論が出ないで、彼らが帰ろうとしたとき、イザヤ書6章9節と10節を引用して語りかけられました。これはイエスさまご自身も群衆に語られたことばであり、御霊の一致が感じられる箇所でもあります。
イザヤ書に書き記されていることばも、イエスさまが語ったことばも、そしてパウロが語ったことばも神によって選ばれた民が時代を超えて神に抵抗している姿をあらわし、神の救いは異邦人に送られるのだというのであります。
絶望と挫折を感じていたかも知れないパウロでありましたが、彼は語ることをやめずに、心が折れることもなく、与えられている場所で福音宣教の働きを続けるのでありました。
適応
クリスチャンたちを迫害する熱心なユダヤ人であったパウロは、イエスさまと出会い、人生が180度変えられて、イエス・キリストの福音が全世界へと宣べ伝えていく大切な働きをするのでありましたが、このパウロの周りには大勢の兄弟姉妹たちがおり、パウロの働きをサポートしていたのでありました。
地方の教会において、聖書には記されていませんが、熱心に神に仕え福音を伝えていた人や迫害を受けて殺されてしまった人もたくさんいたのではないかと思います。さまざまな神の子どもたちの働きによって、いまの時代を生きる私たちのところに、それもエルサレムからはるかかなたにある日本にも福音が届けられたのであります。
またこの日本においてもイエス・キリストの信仰を守り、次の世代に伝えるために、殉教した者をはじめ、献身して教会で働く者、社会において証しをする者、目には見えないけれど行いにおいて福音を伝えた者、多くの人々の働きによって神さまの恵みがあらわされてきたのであります。いまを生きる私たちもちょっとした些細なことかも知れませんが、イエスさまを証ししていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。