導入
今日の箇所は、パウロが神に背く者とならないでほしいと書き送ったその内容について、どういうことが神に背くことになるのかとふれられている箇所であります。
ポイント
① いつも神さまの喜ばれる歩みをしていこう
② 神さまの前にへりくだって生活していこう
③ 神を知ること
解説
このところに記されている「自然に反するもの」ということ、パウロがここで言いたかったことは、異教の行い、神の存在を無視して性の堕落であり、情欲、欲望に引き渡して、自分の手で何でも手に入れてしまおうという高慢な意味が込められています。
神さまによって造られた尊い存在を無視して自分の都合で喜びを求めることに対してパウロは警告したのでありました。
パウロは神を第一としない人は、自分の喜びを第一とし、神など必要ないと考えて、神を知ることに価値などはない、自分の知識の中に神を入れることを好まないのと思っているのだと語りました。そのような人々は、忌まわしい心であり、試練に耐えられない状態であり、いつも神を試しており、心の堕落と悪意のある性質を持っているのだ。この所に出てくる悪しき行いをする人たちは、神を憎む者たちであり、自分こそが偉大だと傲慢な者たちであり、契約を破る者たちである。
パウロはこれまでにいろいろな国を巡り回ってきたことにより、異教世界の多くの偶像や淫らな儀式、様々な忌まわしいものをたくさん見てきたのではないかと思います。そのようなところから何とか救われてほしい、脱出してほしいと思い、語り続けるのでありました。
罪に対してはとても厳しく怒りを覚えられる父なる神さまは、悪しき行いをする者は死に値するのだ。天からの啓示を拒否して、無視するのならば神の裁きが待っているのであります。けれども、主なる神さまに立ちかえり、理性をもってただしい判断をし、良心を働かせて、ここに書かれていることと反対のことを行っていくのならば、イエスさまの十字架を見上げて歩んでいくのならば、救いの恵みにあずかることが出来るのであります。
適応
私たちの生かされている現代においては、正直者が馬鹿を見る、良心をもって行動したことにより損をすることがあるかも知れませんが、神さまは私たち一人ひとりのことを見ておられて、私たちの思いや行いにおいて報いを与えてくださるのであります。損したように思えても得することがたくさんあるのです。
今日のみことばにありましたことを避けることによって、多くの人が笑うかも知れない、馬鹿するかも知れませんが、誠実に歩み、神さまの喜ばれることを行うのならば、後になってから必ず勝利を得ることが出来るのであります。私たちが神の国と神の義を第一としていくのならば、神さまの恵みと祝福が流れていくのであります。
今日このとき、神さまの子どもとさせていただけたことを感謝して歩んでいきたいと思います。そして、イエスさまがいつも一緒にいてくださることを信じて歩んでいきたいと思います