聖書に記されている真理とは何か

導入

今日の箇所は、神に背を向けて歩むのならばどうなってしまうのか、悪いことに対しても報いがあるのだと書かれており、神さまはえこひいきをされないのだと語られている箇所であります。

ローマ人への手紙2章1-11節

ですから、すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。
そのようなことを行う者たちの上に、真理に基づいて神のさばきが下ることを、私たちは知っています。

ポイント 

① どんなことがあっても神さまだけを信頼して歩んでいこう

② いつでもどこでも神さまにお祈りして過ごしていこう

③ 真理とは何か?

解説

この話を聞いていた人々の中には、「パウロよ!何を言っているのか」と鼻で笑う人物もいたかも知れませんが、他人を裁き、自分をも裁くのならば、神の裁きを免れることは出来ないのだとパウロは忠告しました。

あなたたちは本当のことを知らないだろうけど、神さまはやさしくて良いお方であり、怒るのに遅くて、寛大で寛容に満ちておられ、悔い改めへと導いてくださる、のにもかかわらず、あなたたちは神を軽蔑して、軽んじて、見下しているのだというのであります。

パウロはここでさらなる原則について、神の国の法則について、神は公平な裁きを行われるのだと語りました。主なる神さまは、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても全ての人の行いを見ておられて、良い行い、悪い行い、全てを見ておられて報いを与えられるであります。

主に信頼し、主を求めて歩んでいくのなら、良い行いをすることにつながり、永遠のいのちが与えらる。主に背き、自分の考えを一番に優先して歩んでいくのなら、不義に従うことになって神の怒りと憤りがくだるのだというのであります。

私たちの日々の歩みにおいては、何が良いことで何が悪いことなのか、どっちがどっちかわからないことも多いのではないかと思います。明らかな犯罪行為は悪いことであると直ぐに分かるのですが、判断に苦しく、神さまはどちらを望んでおられるのかと悩むことあると思いますが、その都度、その都度、主に信頼して、祈りつつ、決断していくのならば、必ず神さまのみこころがなされていくのであります。ときにはなんで、どうしてと思うこともあるかも知れませんが、神さまはいつでも私たちに最善のことを行ってくださるのであります。私たちの信頼している神さまは真実なお方であるので必ず良いことを行ってくださるのであります。

「真理」について聖書には、信頼できる、忠実である、信じる、信頼を置くといった意味のあることばであります。

イエスさまが十字架にかかられる前に弟子たちに向かって、真理の御霊を与えると語られ、この御霊を受け取る者は、真理を理解することが出来るようになり、真理の中を歩めるようになれるというのであります。

適応

真理の御霊は私たちのうちにも居てくださって、私たちの日々の生活を助け、守り、導き、祝福してくださるのであります。真実であり、忠実であり、真理であるお方を信頼して、このお方とともに歩んでいくとき、私たちは罪の生活から離れていくことが出来て、神の喜ぶことを行っていきたくなるのであります。

これまでの日々において神さまに背を向けて歩んでいた時もあるかも知れませんが、神さまと歩めることを感謝していけるように、私たちの行動を見ていてくださって報いてくださることを信じていけますように、神さまからの恵みをしっかりと受け取って歩んでいきたいと思います。