導入
今日は詩篇133篇をお開きしまして、神さまの愛と喜びを分かち合える交わりということについてみことばを見ていきたいと思います。
ポイント
① 主にある交わりが与えられていることを感謝しよう
② 神さまとの交わりを楽しんで生活しよう
③ なんという楽しさだろう
解説
主にある兄弟姉妹がひとつとなって時間をともに過ごして、信仰の恵みを分かち合うこと、また、苦しみをも共有し祈り励ましあえること、神さまを中心として歩むことなどがいかに素晴らしいことであるかをこのところから読み取ることが出来るのであります。
この詩篇133篇は、表題を見ますと「ダビデ」によって書かれたものであることがわかります。エルサレムにおいても兄弟姉妹たちが集まり、主を礼拝している姿を想像するとき、その恵みをさらにふかく知ることが出来るのであります。
イスラエルの民がバビロンによって捕囚の民となったとき、苦しい時代を過ごさなければなりませんでしたが、そのような苦しい中であっても、主を信じる信仰を忘れることなく、賛美を主に献げて喜び歌い、神さまの恵みによってお互いに励まし、主を礼拝していったのでありました。
イスラエルの民が主なる神さまを第一とし、主を礼拝する恵みの中にいたように、いまを生きる私たちも、神の国と神の義を第一とすることによって、神さまからの恵みと祝福に預かることが出来るのであります。
大祭司として任命され職務に就くとき、任職の油が注がれて聖別の儀式が行われるのでありました。その注がれた油は、頭からひげや肩や胸へと流れていき、胸に付けられたエポデという12部族を象徴する胸当てに達し、全てのイスラエルの民が聖別されるのであります。
適応
神さまとのタテの交わり、兄弟姉妹とのヨコの交わりがなされていくとき、神さまの愛と喜びをさらに深くと知ることが出来るのであります。
昨年からコロナウイルスの影響によって、必要にせまられていろいろな教会がインターネットを使って、スマートフォンを使って、リアルタイムで礼拝を守ることが出来るようになったのではないかと思います。これらを用いて礼拝を守れるということ、本当に素晴らしいことであり、日本のいろいろなところにみことばが届けられる、いつでもどこでもみことばを味わって恵みをいただくことが出来、とても素晴らしいことであります。ですが、主にある兄弟姉妹との人格的な交わりはどうしても教会に足を運ばなければ味わうことが出来ないのではないか、オンラインでは得られない恵みが対面の交わりにおいていただけるのではないかと思います。
私たちがいつも聖書のことばをしっかりと蓄え、みことばを信じ、みことばを実行していくのならば、私たちはクリスチャンとしてさらにたくさんの恵みを受けることが出来、祝福を得ることが出来るのであります。
今日このとき、主なる神さまを中心とした交わりを持てますことを感謝いたします。私たちが主なる神さまと一緒に生活する喜びをさらに体験し、また兄弟姉妹とその恵みを分かち合って、主に感謝するひとときとさせていただきたいと思います。
そして、主を信じる私たちが互いに愛し合い、支えあい、祈り合うことができるように、これからの日々も主と共に歩んでまいりたいと思います。