導入
今日の箇所は、前回お開きしましたところ13節のみことば「律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が義と認められるからです。」ということばを確認する箇所であり、ユダヤ人が律法を守ることによって異邦人の光となるという、律法を行うことの大切さについて書かれている箇所であります。
ポイント
① モーセの十戒を覚えて少しでも守ってみよう
② 神さまからの知恵と知識をいただいて生活していこう
③ 知識と真理
解説
ユダヤ人は律法を知っていることによって神の裁きから守られているのだと思っていたのでありますが、ユダヤ人であること、律法を知っていることだけでは何の意味もなく、大切なものであるとわきまえているのなら忠実に、従順に守る必要があるというのであります。
けれども実際のところは、律法を通して知識を得られること、真理を知れることを知っていながらも、自分たちこそが目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自信に満ちあふれているのでありました。
パウロは多くのユダヤ人たちがこれらの罪を犯していると証明しているのではなく、これらの罪が当時のユダヤ教の中に蔓延していたことにより、イザヤ書52章5節のみことばを引用して、神の名が異邦人によって冒涜されてきたけれども、今度はあなたたちによって神の名が冒涜されるのだと皮肉を込めて語るのでありました。
あなたたちは異邦人の祝福の源となり、神への賛美を導かなければならない使命があるのにも関わらず、かえって自分たちで神の名を汚す原因をつくっているのだと警告するのでありました。そして、25節以降を見ていきますと、このパウロのユダヤ人に対することばは、律法の問題から最後の砦でもある割礼の問題へと踏み込んでいくのでありました。
適応
主を信じる私たちは、自分のやってきたことがうまくいったとか、成功したとか誇るのではなく、神さまが助けてくれたのだ、神さまによってうまく出来たのだと主を誇るのであります。私たちが聖書を読むことができるのも、お祈りをすることができるのも、礼拝をおささげすることができるのも、ただ、ただ神さまの御業であるのです。
今日このとき、神さまによって今があるのだと言うことを感謝して、神さまの御名をほめたたえたいと思います。そしてこれからの歩みにおいても、主がともにいてくださることを信じて、主に信頼して歩ませていただきたいと思います。