「がんばったね」とほめてもらえる

導入

今日の箇所は、信仰によって義とされるということについて、アブラハムが神さまの約束を信じて義とされたことについて記されている箇所でございます。

このアブラハムに与えられた恵みであり祝福は、アブラハムにだけ特別に与えられたのではなく、アブラハムのように神さまを信頼して歩む者にも与えられる恵みと祝福であるというのであります。今日もみことばから教えていただきたいと思います。

ローマ人への手紙4章18-25節

不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。

ポイント

① 神さまの約束を信じて離れないで歩んでいこう

② 神さまの信仰を受け取って生活していこう

③ 神の約束

解説

パウロがこのところでアブラハムについて書き記したことは、アブラハムの年齢のこと、サラの年齢と赤ちゃんを授かることのない状態のこと、人間の経験や思いや考えで判断するのならば、神さまが約束してくださったことであっても、それは不可能だよなと思えてしまうのでありました。しかし、アブラハムは不信仰になることなく、一本の筋の通った強い信仰によって、周りから何を言われようとも神さまだけを信頼して歩むのでありました。

20節には「神の約束を疑うようなことはなく」とあります。この「疑う」ということは区別する、判断する、決定するといった意味があり、「彼は不信仰によって自分の心を分裂させなかった」ということも出来、信仰によって力が与えられてますます強くなったというのであります。

本当ならば、心が折れてしまう、なえてしまう状況であったのですが、ためらうことなく、よろめくことなく、信仰によって強くされて、神さまに栄光を帰することができ、神の約束を実現することができたのであります。

アブラハムに何か頑張ったからとか、功績があったからとかではなく、ただ単に神さまの約束を信じたことによって義と認められたのであります。

これはアブラハムが神さまに選ばれた特別な存在であったからというのではなく、この手紙を書いたパウロをはじめ、全ての時代の人々にあてはまることであり、主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じるのならば、義と認められるのだというのであります。

このところに記されていることは、単なる歴史的な事実として記録されたのではなく、信仰によって義とされる神の約束であり、方法あり、手段であることを、すべての時代の人のために実例として書き記されたのであります。

適応

神さまの約束を信じて、神さまが最善のことを行ってくださると信頼して歩んでいく、このことが私たちクリスチャンにとってとても大切なことなのであります。

アブラハムが不信仰にならず、神さまの約束を疑わず、物事がうまくいかずに心折れてしまうことなく忍耐を持って、謙遜になって歩んでいったように、私たちも信仰をいただいて歩む者とさせていただきたいと思います。

イエスさまの福音の力をいただいて、さらなる信仰を増し加えていただけるように歩んでいきたいと思います。そして、パウロがみことばの真理を追究していったように、私たちもみことばを求めていく事が出来ますように、神さまの力と知恵をいただいて、イエスさまの福音を本当に信じる者とさせていただきたいと思います。