導入
今日の箇所は、キリストとキリストを信じる者とに与えられる固い結合について、キリストと共に生きることについて記されている箇所であります。
キリストと一つにされ、生活していくために必要なことは、キリスト・イエスにつくバプテスマ、キリストの死にあずかるバプテスマが大切なのだと記されています。罪に死ぬこと、古い人に死ぬことによって新しいいのちをいただくことが出来るのであります。
ポイント
① 古い自分を捨てて新しい自分になろう
② 毎日少しずつイエスさまに近づいていこう
③ キリストとともに生きる
解説
パウロは神の恵みに焦点をあてて、キリストと共に歩むことの大切さを伝えたのでありました。この当時のクリスチャンの中には、キリストがどんな罪も赦してくれる、それならばどんどん罪を犯しても良いではないか、赦される恵みをいっぱいもらえるではないか、と考える人がいました。
パウロはそのような人たちに、そんなことをしても恵みは受け取れないのだ、キリストを信じる者は、罪に対して死んだのだから、罪という主人に仕え続ける必要はないのだ、罪の中で生き続ける必要はないのだ、罪の絶対的な支配からはもう解放されているのだと語ったのでありました。
キリストを信じて洗礼をうける、バプテスマをうけるということは、罪をもった人が水の中で死に、キリストと結ばれて永遠のいのち、新しいいのちをいただいて復活することなのだ、よみがえることなのだと語りました。
洗礼、バプテスマということは、ただ儀式のように水の中に沈められておしまいというのではなく、キリストと共に、キリストのように埋葬されることなのだということを明確に記してくださったのであります。
古い性質を持った人、古いアダムから受け継いだアイデンティティーを持っている人が、キリストが十字架につけられたように十字架につけられるのならば、実際に十字架につけられるのではなく、イエスさまが身代わりとなって十字架につけられて死んだことを自分のこととして受け入れるのならば、罪の性質を持った身体は死に、罪の力に支配されていた人格は無力になって、罪の奴隷から解放される罪の支配から断ち切られるのであります。
罪の性質を持った状態、罪の奴隷である状態、少し言い方を変えると良い心である良心に背いた生活をしている状態から脱出することが出来る、さまざまな問題の解決が与えられて本当の自由を受け取って生活することが出来るのであります。
キリストの十字架での死と葬りと復活の本当の意味を知るのならば、罪の重荷を背負った苦しい状態から解放されて、キリストと共に生きることが出来るようになり、神のために生きることが出来るようになるのであります。
生きるって何なのだろう、生きている意味があるのだろうと悩んで苦しんでいる人が多くいると思うのですが、キリストと出会うことによって、本当の生かされている意味を知ることが出来、生きる希望と喜びを手に入れることが出来るのであります。
適応
私たちの日々の歩みにおいてはいろいろなことがあると思いますが、罪の奴隷、罪の重荷から解放された者として、キリストにある希望と喜びを受け取って歩んでいきたいと思います。そして私たちもキリストに似た者とさせていただいて、キリストを証しする者とさせていただきたいと思います。