導入
今日から7章に入りまして、律法の束縛からの解放されることについて、結婚した人たちの関係を例にあげて、復活されたイエスさまと結ばれることによって、父なる神のために実を結ぶことについて書かれている箇所であります。
ポイント
① 神さまだけを信頼して生活していこう
② 神さまと関係を回復して歩んでいこう
③ 律法は聖なるもの
解説
このパウロの手紙を受け取って読んだ人々の中には、ユダヤ人もいれば異邦人もいたと思いますが、彼らは旧約聖書に記されている律法のことを良く知っていたようで、結婚をしている女性は律法によって夫と結ばれているのだと語りました。
法律の教え、伝えられてきた決まりによれば、夫を持つ妻は、夫が生きている間、夫の下にある状態、夫によって支配されている、拘束されているのであるが、夫が死んでしまったのならば、そこから解放されて自由になる。結婚している状態で他の男性と関係を持つのならば、姦淫の罪を犯すことになるけれども、夫が死んでしまった後、律法から解放されている状態ならば、他の男性と結ばれても姦淫にはならないのだと説明されています。
パウロはここで結婚の関係について話をしたかった、ということよりも、神と結ばれることの大切さについて語りたかったのであります。5節と6節をふまえて読んでいきますと、今度は結婚という関係を越えて、人は罪の性質に支配されていたのだ、肉の中にいたのだということに内容がうつっていきます。
5節にある「私たちが肉にあったとき」ということは、キリストに出会う前の状態、イエスさまの救いをいただく前の状態のことであり、自分の力の中で生きていることをあらわし、律法を守ってきよく生きていると思っていたけれども実際は違っていた、罪の欲情が働いて死のために実を結んでいたというのであります。
パウロは律法を守ることにいのちをかけて、律法を無視してナザレのイエスについていった者を迫害し苦しめていたが、本当は自分こそが律法によって生かされていなかったのだ、ただの字面だけを、書かれている文字だけを追いかけていたけれども、いまは御霊によって生かされているのだと語るのでありました。
律法自体は良いものであり、きよいものである。その律法によって自分を照らすときにいかに自分が罪深い者であるかを知ることが出来るであります。
そのようなところから脱出するために、解放されるためにイエスさまの十字架が必要なのであります。イエスさまの十字架によって罪が赦されてきよい者となることができ、神さまとの関係も回復させていただけるのであります。
適応
私たちのこれからの歩みにおいて、主に信頼するものとなって過ごしていくことが出来るようにさせていただきたいと思います。主は私たちの歩みを見ていてくださいます。神さまからの一方的な恵みと祝福をいただいてこれからの日々も主と共に歩んでいきたいと思います。