今日の箇所は、御霊の導きに頼り、信頼して歩む者は神の子どもである、キリストを信じる者は奴隷の霊ではなく、子としてくださる御霊を受けることが出来るのだと記されている箇所であります。神の子どもとさせていただくのならば、父なる神さまに対してアバ、お父さんと親しみを込めて語りかけることが出来るというのであります。
ポイント
① 神さまの子どもとなって神さまと一緒に過ごしていこう
② いつも神さまと楽しい交わりをしよう
③ 神の御霊に導かれる
解説
この12節と13節では、これまでのところをまとめるように、肉的なライフスタイル、肉に従って自分の欲を満たす生活は、命を失うことになり、御霊の働きを殺してしまう、ストップさせてしまうのだというのであります。
御霊の働きは私たちの命を保障するものであって、肉的にも霊的にも生きることが出来るようになって、神の霊に導かれたライフスタイルを送ることが出来るのであります。そして、御霊に導かれる人は神の子どもなのだというのであります。
イエス・キリストを信じる者には、神の霊が与えられて、神からのいのちが与えられて、神さまの子どもとさせていただけるのだというのであります。
現代の日本においては、養子になる、養子縁組を結ぶということをあまり聞かなくなったのでは思いますが、子どもに恵まれなかったとき跡取りを設けるために行われてきました。養子縁組とは、血縁関係にない人同士が法律上の親子関係を結ぶための制度のことをいうようでありますが、神さまの子どもとされるということは、神さまの財産を相続することであり、神さまとともにこの地上のものを治めて管理していくことなのであります。
イエスさまによって救われる前の私たちは神さまと交わることが出来ず、関係を持つことができなかったのでありましたが、イエスさまを知り、救いを受け、神の霊が与えられて、神さまの子どもとさせていただいたことにより、父なる神さまを「アバ」と「お父さん」と呼ぶことが出来るようになり、特別な、親密な交わりを持つことが出来るのであります。
神の霊に導かれて、神の子どもとさせられたということは、ユダヤ人にとってとても大切にされていたこととして、アブラハムの子であるとか、ダビデの家系であるとか、大切にされていたことであり、ギリシヤ人にとって、異邦人にとっては嫉妬したり、優劣を感じたりしたかも知れませんが、神の子とされるということは新たに生まれた者であって、第二の誕生をしたことになり、信仰の子だけが神の子なのだというのであります。
神の子であるということは、相続人であるということでもあり、父なる神からの権利を受け継ぐ、特権があたえられることになり、神の子どもというキリストに与えられた栄光も受けることが出来るのであります。
適応
神の御子を信じる者は、神の家族の一員とさせていただいて、神さまのいのちをいただいて歩んで行くことが出来るのであります。そして、この私も神の子どもとさせていただけたのだと証ししていくことが出来るのであります。
今日このとき、神さまの子どもとさせていただいたことを感謝して、御霊に導かれて歩んでいきたいと思います。そして、父なる神さまとの喜びに満ちた楽しい親密な交わりをもつことができるように、「アバ、父」と呼びかけ、叫びかけ、いつでもどこでもどんな時でもこのお方と一緒に過ごしていきたいと思います。