聖霊がいつも一緒にいてくれる

今日お開きします箇所は、ヨハネの福音書14章16節のみことばです。先月の第一日曜日は、今日の箇所の少し前、ヨハネの福音書14章6節のみことばから、いつも一緒にいてくださるイエスさまについてみことばをみました。今日は私たちを日々助けて導いてくださるお方について、御霊なる神さまについてみことばを見ていきたいと思います。

伝道者の書3章11節
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。

ポイント

① いつも聖霊の助けをいただいて歩んでいこう

② 毎日喜んで楽しんで神さまとともに生活していこう

③ あなたがたとともにいる

解説

私たちは愛する人や大切な人から何かを言われたことがあったら喜んで行動に移すということをすると思います。それと同じでイエスさまを愛しているということは、イエスさまの戒めを守ることによって証明していく必要があるのではないかと思います。

イエスさまに愛され、イエスさまを愛していくとき、祈りということを通して神さまの御業があらわさて行くということとともに御霊なるお方が遣わされて私たちを助けてくださるのであります。

ここで述べられている「助け主」ということばは、必要に応じて助言を与える親しい友人を表すことばであり、イエスを信じる者のかたわらで、すぐそばにいてくれて、その人を弁護し、助け、励まし、慰め、叱責するお方であるというのであります。

イエスさまがいつも一緒にいてくれる、聖霊なる助け主がすぐそばにいてくれてくださる、そのことによって神さまによって愛されていることがわかり、私たちも神さまのことを愛することが出来、戒めも守ることが出来るようなるのであります。

神さまの戒めといっても、これをしてはならない、あれもしてはならないといった刑罰を与えるようなことではなく、神さまとの関係をより良いものへとしていくためのきまりといったような、親と子どもの約束のようなことであるのです。

この神さまの決められた範囲の中で、神さまを愛していこう、神さまの喜ばれることをしていこうということになると、生きる楽しみ、うれしさ、わくわくをいただくことが出来るのであります。

たとえ周りにいる人から裏切られるような、見捨てられるようなことがあったとしても、イエスさまは私たちのことを見放さず、どんなことがあっても一緒にいてくれる、守ってくれるのであります。

この世の考え、目に見えることにおいて、損しているようなこと、はずれクジばっかりをひいているようなことがあったとしても、恵みと祝福を用意していてくださって、ちょうどよい時に与えてくださるのであります。

適応

私たちに御霊が注がれる、神さまからのエネルギーを受けるようになると、御霊の満たしを受けたい、もっともっと御霊に満たされて歩んでいきたいと思うようになり、聖霊の助けを受けて歩むのなら、私たちの人生において恐い物ナシになり、勝利の人生を送ることが出来るようになるのであります。

これからの日々、みことばの約束を信じて、天地万物を造ってくださった神さまとの交わりを深めていき、また教会に集う主にある兄弟姉妹たちとも交わり、祈っていき、神さまの素晴らしい御業を見させていただいて、いまも生きて働いておられる神さまの恵みを体験していきたいと思います。