選ばれてしまった・・・

今日の箇所は、パウロのイスラエルに対する悩みについて書かれており、イスラエルに対する神の約束はどうなってしまうのか、イスラエルの民は救われるのだろうかと苦しんでいる姿が書かれている箇所であります。

ローマ人への手紙9章1-13節
父祖たちも彼らのものです。キリストも、肉によれば彼らから出ました。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン。

ポイント

① 神さまによって選ばれ救われたことを感謝しよう

② 神さまの子どもとなって神さまと一緒に歩んでいこう

③ 約束の子ども

解説

パウロはこのところにおいて感情的になり、私はとっても悲しいのだ、痛みを覚えているのだと語りました。パウロのいつものイメージですと、喜びいっぱい、感謝に満ちあふれているように思えるのですが、それらとはちょっと違う一面を感じられる箇所であります。

なぜパウロは悲しみ苦しんでいるのかといいますと、同胞のユダヤ人が救われていない、イエス・キリストを信じることを拒否しているということからどうしたらよいのかと悩むのでありました。

多くのユダヤ人は自分たちこそが選ばれた民なのだ、神の救いの特権にあずかっている者たちなのだと思いこみ、約束のメシアがあらわれる、救い主はユダヤ人であるということを無視して、イエス・キリストの存在を受け入れないのであります。

まさに旧約聖書の出エジプト記32章に記されていること、モーセが同胞の民であるユダヤ人の救いのために悩み苦しむことを思い出させるようなパウロの心情がこのところに記されているのであります。

そんなかたくななユダヤ人であるのにもかかわらず、彼らのためにも救いの道を開き、あわれみをあらわしてくださるイエスさまに対して賛美をささげるのでありました。

適応

いまを生きる私たちは神さまによって選ばれた存在として、どのように生活していったら良いか試されているのであります。もちろん神さまの喜ばれることを選ぶか喜ばれないことを選ぶかは私たちに与えられている自由があるので何を選んでも良いのですが、この地上で生きていくにあたりどうせなら、神さまに選ばれてしまったのだから、神さまと一緒に歩む生活が良いのではないか、いや絶対に良いに決まっているのであります。聖書には神の民には天からの祝福があると約束されているのであります。

これまでのキリスト教の歴史において、聖書に記されている神さまとともに歩んだ結果、思いもよらない恵みと祝福をいただいたという証言がたくさんなされています。パウロのように時には苦しくて大変な時もあると思いますが、主は見捨てることをしないで、必ず責任を取ってくださって、恵みと祝福を与えてくださったのであります。

私たちのこれからの歩みにおいていろいろなことがあると思いますが、いまも生きて一緒にいてくださる神さまに信頼して、神さまから離れないで、神さまの御手の中で歩んでいきたいと思います。そして、目に見える恵みと祝福もたくさんいただいて、心の平安と安心もしっかりいただいて歩んでいきたいと思います。