今日お開きします箇所は、詩篇32篇10節のみことばです。今日は礼拝後にチャペルミーティングをおいて、湘南グレースチャペルに与えられたビジョンを再確認して、これからの歩みを進めていきたいと思わされております。
この詩篇32篇10節は教会のビジョンを掲げる時に神さまから示していただいたみことばの一つであり、また教会の定礎石にも記されているみことばでもあり、このところから「笑顔と喜び、そして愛を…。湘南から世界へ、神の恵みを!」と導かれました。
ポイント
① 神さまのはかりしれない恵みに感謝しよう
② 互いに愛し合って神さまを証ししていこう
③ 恵みがその人を囲んでいる
解説
この詩篇32篇のみことばは、ダビデによって書かれた詩篇であり、ダビデが神さまの御前に罪を犯してしまったことに対する悔い改めの祈りがなされた箇所であります。
サムエル記第二11章を見ますとダビデとバテ・シェバとの出来事について記されており、ダビデが罪を犯してしまったことに対して、主に罪を悔い改めるということが背景になっています。
ダビデが神さまの御前にしてはならないことをしてしまった。神さまを悲しませることをしてしまったということがひしひし伝わってきます。ダビデは罪に対して神さまの御前に徹底的に、心からの悔い改めをして、神さまから罪の赦しを受け取るのでありました。
いまを生きる我々も主なる神さまに向かって罪を犯してしまっているということがあると思いますが、自分の罪を残らず神さまの御前に差し出し、悔い改めをし、赦していただけるようにとあわれみを求めるのなら、主は必ずその祈りを聞いてくださり、イエスさまの十字架の血潮により罪を赦してくださるのであります。
罪を認め、神さまの御前に告白するということは、苦しいことであり、出来れば避けたいことであるかも知れませんが、神さまの御前に隠すことが出来ないのであります。罪にもいろいろあり、これくらいならいいやと思うこともあるかも知れませんが、水の入ったコップに少量の土が入っていたら、小さな虫が入ってしまったらその水を飲むことが出来ないように、神さまの御前にはどんなに小さな罪であっても、汚れてしまった水のように、それらを隠すことが出来ないことなのであります。
ダビデは自分の罪を認め、神さまの御前に悔い改めをし、罪の赦しを受け取りました。それを勝ち取るまでには、辛く、苦しい、逃げ出したいという思いであったかも知れませんが、赦しを受け取ることによって、言葉では言い表すことの出来ない主からの平安を頂くのでありました。
10節のところには「悪しき者は心の痛みが多い」とあるように、ダビデ自身、痛み、苦しむのでありましたが、主からの赦しと恵みを受けたいまは何にも変えられない喜びと平安で満たされるのでありました。
適応
この三年の間、私たちはコロナウイルスによって人と人との交流や関係が薄れてしまった、家族との会話の時間が短くなった、近所のつきあいもあいさつも少なくなってしまったのではないかと思います。インターネットを使って会話や交流は増えているけれども相手と会って顔を見て会話をするのは減っているとか、新しいコミュニケーションスタイルであるかもしれませんが、大切なものを見失ってしまっているのではないかと思います。
今日この時、私たちの集まりの中にも主がともにいてくださることを感謝し、主にある兄弟姉妹との交わりを通して聖書のみことばを味わっていきたいと思います。そして、この神さまを土台とした交わりの恵みをさらに体験し、また多くの人々と味わい、神の御国がこの地でも拡大していくように主に期待して歩んでいこうではありませんか。