神の道はなんと極めがたい

今日の箇所は、イエス・キリストの福音について言うのならば、ユダヤ人は不信仰によって、不従順によって神に敵対しているのでありましたが、イスラエルに与えられている賜物と召命は取り消されることはなく、神の奥義が明らかにされることによって神さまの御業があらわされることになるのだ、神さまの栄光があらわされてすべての民に救いがもたらされるのだというのであります。

ローマ人への手紙11章25-36節

すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

ポイント

① どんなことがあってもイエスさまの福音を信じていこう

② イエスさまの歩まれた道を歩んでいこう

③ 神の道はなんと極めがたい

解説

すべてのイスラエルは救われるという、イスラエルの回復と将来の希望について、啓示された奥義についてパウロは語りました。

異邦人の満ちる時が来たのならば、すべてのイスラエルの民が救われるのだというのであり、旧約聖書のイザヤ書59章20節と21節を引用して、ミステリーということ、謎に満ちたことを説明するのでありました。

イスラエルの民がイエス・キリストの福音を拒んでいた、受け入れることをしない、たとえ神に敵対することがあったとしても、神さまの愛はすべての人に注がれているのであり、イエスさまが再び来られる時にはイスラエルの民も劇的に変えられるのであります。

そして、すべてのイスラエルの民、また異邦人に与えられる神さまから賜物、すべての人を救うという約束、神さまによって選ばれている、招かれているということは取り消されることがないのだ、なくなってしまうことはないのだというのであります。

パウロはこのところにおいて、もう一度、イスラエルの不従順と異邦人の救い、そしてすべてのイスラエルの民の救いについて語るのでありました。異邦人は以前、神に対して不従順であり、神さまの悲しまれることをたくさんしてきたのですが、今はあわれみを受けて救いの道が開かれている。それと同じように、今はイスラエルの民が不従順であったとしても、異邦人に与えられたのと同じように、今度はイスラエルもあわれみを受けるようになる。

人間には計り知ることの出来ない神さまの知恵と知識、そしてご計画。ユダヤ人の教えを知り尽くしていたパウロ自身であっても神さまの御業を知り尽くすことが出来ず、とうてい極めることが出来ないというのであります。

適応

私たちが神さまによって生かされていることを知るとき、神さまからくる喜びに満ちあふれ、神さまの栄光があらわされていくのであります。神さまの偉大さを知るとき、私たちは神さまのご計画の中で歩むことが出来る、イエスさまの歩まれた道を歩いて行くことが出来るのであります。

神さまのご計画の中で私たちが救われ導かれていますことを感謝いたします。これからの日々も主から離れないで、主の御手の中で歩むことが出来るようにさせていただきたいと思います。