弱くていい 弱いからいい

今日は2月の第一日曜日ですので、毎月第一日曜日は年間聖句の日としまして、今年のはじめに与えられました年間聖句をお開きしましてみことばを見ていきたいと思います。

コリント人への手紙第二12章1-10節

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ポイント

① 出来ないことがたくさんあったとしても感謝して生活していこう

② 神さまがいつも一緒にいてくれることを信じて生活していこう

③ 自分の弱さを誇りましょう

解説

ユダヤ人たちにとって、この第三の天に引き上げられるということは、とても栄誉あることであり、偉大な信仰者であるとされていたので、これを聞いた人たちは非常に驚いて、後ずさりする、腰を抜かしてしまうような話しであったと思います。

このような体験をしたのならば、あちらこちらで自慢をし、みんなからちやほやされる、どこにいっても偉大な英雄となれるのでありますが、パウロはこのような体験がとても貴重で素晴らしいことであるけれども、それを誇っても意味がないと話し、それよりも私は自分が弱い存在であることを誇るのだというのでありました。

パウロは自分の経験を価値あることとして誇ることのないように、サタンに足をすくわれて自滅することのないように、とげが与えられていると告白しました。

パウロはこのトゲを取り除いてほしいと三度、主に願うのでありました。なぜこのことに関して三度しか祈り願わなかったのか。解決するまで祈れば良いのになぜなのだろうかと思ってしまうのでありますが、一度目の祈りと二度目の祈りでは答えがなかったのか、三回目の祈りにおいて神さまから答えを受け取ったのか、パウロはきっとこの三度目の祈りにおいて神さまからの答えをいただき、平安をいただき、信仰による確信を受け取ったのでありました。

パウロは神さまから「わたしの恵みはあなたにとって十分であり、わたしの力は弱さの中にこそ完全である」と言われ、このトゲがあろうともなかろうとも関係ないのだ、弱さと挫折の中にこそ、神の力があることを知り、神さまが必ず助けてくれると確信するのでありました。

適応

私たちが弱いとき、どうにもならないとき、主なる神さまはわたしの恵みがたくさんあるよ。わたしの力はあなたが弱さ感じるときに完全に、完璧に現れるのだよと語りかけてくださるのであります。だから、私たちは弱くても良いのです。弱いからこそ良いのです。

これからの日々、いつでも、どこでも、どんなときでも主から離れないで、主によって強くしていただいて、喜んで楽しんでいける日々を過ごさせていただきたいと思います。今日も神さまから与えられたみことばを握って、主なる神さまを信頼して歩んでいきたいと思います。神さまの恵みと祝福が私たち一人ひとりのうえに注がれて、神さまの栄光があらわしていけるようにさせていただきたいと思います。