慎み深く考えて見る

今日の箇所は、前回に引き続き、クリスチャンとしてどのように生活していったら良いかということ、どのような人生を送っていったら良いか重要なことが記されている箇所であります。イエスさまを信じて生活していくことは、神さまからのあわれみを受けることができ、平安と恵みに満ちた生活を送れるのだというのであります。

ローマ人への手紙12章3-8節

私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。

ポイント

① 神さまの愛に応えて教会を建てあげていこう

② 自分の得意分野を使って福音を伝えていこう

③ 多くの器官

解説

クリスチャンとしての生き方について核心に触れたパウロは、謙遜に歩むことの大切さと一人ひとりに与えられている賜物について語ります。

パウロがこのように語った目的は何であったかというと、キリストの福音のためにさまざまな賜物が与えられて人々から尊敬されることがあるだろうけれども、賜物を与えてくださった神さまに感謝して謙虚に歩むように、自分のことを高く評価しすぎることなく客観的に自分を見つめて正直に歩むようにというのであります。

信仰の量りによって自分を計らなければいけないということ、この量りはそれぞれ人によって違うだろうけれども、うぬぼれることなく、適切に自己評価をするように、また自分はあの人よりもよいことをしているからと比較して傲慢になることなく、それぞれがキリストの身体の大切な器官であることを自覚して美しい多様性を用いて補っていけるように、助けあっていけるようにというのであります。

主を信じる信仰によって与えられている賜物は、主を信じる人々に与えられている力と霊的な洞察力によって違い、預言、奉仕、教えること、勧めをする、分け与える、指導する、慈善を行うことなどがあげられています。

これらのそれぞれに与えられている賜物を一つのことに焦点をあてて、キリストの身体を建てあげることにだけ意識して用いていくのならば高慢になることもなく、皆で喜んで、熱心になって、純粋にその目的のために歩んでいくことができるのであります。

適応

教会こそがキリストの身体であるとパウロは語りました。この教会のために、苦しみを受け、奮闘して福音の宣教の働きにたずさわっているというのであります。このパウロが受けた働きがあらゆる世代に、地域に継承されて、いまの日本に生きる私たちにもこの務めが与えられているのであります。

新約聖書の時代、使徒の時代から受け継がれている働きは、教会を建て、教会を形成し、使徒としての役割を果すための喜びであるのです。この素晴らしい務めを我々クリスチャンの一人ひとりが実践していくとともに、教会全体で取り組み、神さまの素晴らしい御業を現していくのであります。

このような働きはときには苦しく、大変なこともあるのですが、とても喜ばしいことであり、主なる神さまと兄弟姉妹たちと一緒に行っていく共同作業であるのです。

これからの日々もキリストの身体を建てあげていけるように与えられている賜物をしっかりと用いていくことができるように。いつも聖霊なる神さまの助けをいただいて、いまも生きて私たちとともにいてくださる神さまを信じ、神さまとともに歩んでまいりたいと思います。